古くはアイルランド系土木労働者の居住区


Bridgrport 地区(⇒拡大)

Armour Square

Chinatown(⇒拡大)

 イリノイ川経由でミシシッピー川とミシガン湖を結ぶイリノイ-ミシガン運河の建設が始まったのは、わずか人口200人のシカゴの町が誕生してから3年後の1836年のこと。

 この運河の開削には、ニューヨークとエリー湖を結ぶエリー運河(1817年完成)やオハイオ川とエリー湖を結ぶオハイオ-エリー運河(1827年完成)の工事に携わり、経験を積んだアイルランド系移民が大勢雇われました。

Illinois-Michigan Canal(⇒拡大)

 工事予算に急迫していたイリノイ州は、労働者に賃金の代わりに無償で土地を与えます。そこで、ダウンタウン南のシカゴ川沿いに多数のアイルランド系移民のコミュニティができました。

 その後、運河で輸送される貨物は、ダウンタウンの橋の橋桁が低すぎるために、手前で荷下ろしされることが多くなりました。この地にブリッジポートという名前がついたのもそのせいです。

 運河の完成後は、非アイルランド系移民もヨーロッパ各地からやってきました。イタリア系の大きなコミュニティもできました。 一時は、リトアチア・ダウンタウンと呼ばれた地区もあったそうです。


西海岸から中国系が移住


Chinatown (Wentworth Avenue)

 ダウンタウンのザ・ループにいた中国系移民が、ブリッジポートの北東部に引っ越してきたのは1920年代です。西海岸に移民した中国人労働者は、大陸横断鉄道をはじめ危険で過酷な鉄道建設工事の担い手でしたが、1870年代の不況を機に厳しい差別を受けるようになって東部や中西部に逃げてきました。

Buddhism & Catholic temples

 シカゴのチャイナタウンの規模はアメリカで第4位。横浜や神戸の中華街のように 、サーマック駅からウェントワース通りへの入り口には 立派な入場門(Chinatown (Cermak Road/ Wentworth Avenue))があります。広東省と香港や台湾出身の人々が多いようで、飲茶(ヤムチャ)や海鮮料理が特に評判です。

US Cellular Field (Comisky Park)

 現代のブリッジポートには欧州系と中国系のコミュニティが混在していて、仏教寺院のすぐ隣に、ポーランド様式のカトリック聖堂が立っている風景も見られます。


ホワイトソックス球場では「粒コーンが名物」


 ブリッジポートには、ナショナル・リーグのホワイトソックスの本拠があります。先代の球場コミスキーパークは1991年に建て替えられ、2003年にはUSセルラー球場と改名されたのですが、未だに昔の名前を使う人の方が多くいます。

 シカゴには大リーグの球団が2つあるので何かにつけて比較されますが、北のカブズに比べてファンの忠誠心が低く、その分チケットは手に入りやすいそうです。土曜日のホームゲームの花火などのファンサービスはこちらの方が上で、ゆでとうもろこしと芯を取った粒コーンが名物。塩、バター、チーズ、ライム、レッドペッパーなどお好みの味付けでお召し上がりください。