アメリカは、独立戦争(1775~83年)でイギリスからアパラチア山脈以西の領土を手に入れましたが、ケンタッキーを除くほとんどの土地がインディアンのものでした。しかし、北ではオハイオがこれに続き、1803年には、テネシーに次ぎ合衆国17番目の「州」になりました。

 南部インディアナで白人の入植が始まったのはその頃からです。テカムセの戦争(1811~15年)を経て1816年には「州」に昇格しましたが、インディアンとの条約で白人がセントラルインディアナを得たのは1818年のことでした。

 そこで、早速、州のど真ん中のインディアナポリスに州都を移転する話が持ち上がりました。最初の州都は、取敢えずケンタッキー州の州境に近い最南端に設けられていたのです。そんなわけで、1825年に誕生した新州都は、まだ近隣100q圏内に白人の集落が一つもない寒村でした。


○と□と✕(対角線)


Indiana Soldiers' and Sailors' Monument

 最初の都市計画は、わずか1マイル(1.6q)四方。今も東西南北の名前が付いている通りが当時の町外れでした。中央に3エーカーの円形の区画を仕切って州知事の公邸を設けましたが、後にここがモニュメント・サークル(Monument Circle)となったのです。

IN World War Memorial Plaza 

 高さ87mのインディアナ兵士記念塔が完成したのは1901年…独立戦争から米西戦争までのインディアナの陸海軍の兵士を追悼しています。塔の展望台には階段かエレベーターで上れる仕掛けです。地下の南北戦争博物館には、建設資金の調達に貢献した(今日の世界的医薬品メーカーの創業者)イーライ・リリーの名前が付けられています。毎年、ホリデーシーズンに、電飾でクリスマスツリーのようにデコレーションされるのも楽しみです。

 ここから真西を望むと州議会の議事堂(Statehouse)が見えます。サークルの南西脇にはインディアナ交響楽団のヒルバート・サークルシアター(Hilbert Circle Theater)があります。まっすぐ北に歩いて行くと4ブロック目の右手にインディアナ世界大戦記念堂(Indiana World War Memorial Plaza)があります。ちょっと見は日本の国会議事堂に似ていますが、第一次大戦後にペルシャの伝説的な霊廟をイメージして建てられました。一つ手前のユニバーシティ公園と一つ先の退役軍人記念広場を合わせて3ブロックにわたり緑地帯が続くぜいたくなダウンタウンです。

 ダウンタウンから対角線方向に伸びる4つの道路も初めからありました。そのうち北東のマサチューセッツ・アベニュー歴史地区(Mass Ave)は、略称で「マス・アブ」と呼ばれるアートの町。ムラット・シュラインアテナウムのような美しい建物に、お洒落なお店やレストランが入り混じって調和しています。


ナショナルロード


Historic National Road (National Scenic Byway: Washington DC~St. Louis)

 それほど辺鄙な場所でしたが、1829年には東からナショナルロードが延伸してきてインディアナポリスに到達しました。この頃、既にインディアナ州民は「アメリカの十字路」の使命を自覚し始めたともいわれています。

 ナショナルロードは、州を越えて連邦政府が建設した初めての道路で、砕石で舗装するのも初めての試みでした。工事は1811年に始まり、首都ワシントンを流れるポトマック川の上流からセントルイスに至るはずでしたが、予算が足りなくなって1838年にイリノイ州のバンダリアで中断してしまいます。しかし、それでも幌馬車でさらなる西部のフロンティアを目指し移住して行った人々の貴重なルートとなりました。

Indianapolis Artsgarden

 現代のナショナルロードは国立景勝バイウェー(脇道)。全長は1000qありますが、インディアナ州内ではナショナルロードイコール国道40号線で、ダウンタウンを東西に走るワシントン通もその一部です。冬が厳しい都市のダウンタウンで、ビルとビルを、地下道や空中連絡通路が結んでいるのは珍しい光景ではありませんが、ワシントン通とイリノイ通の交差点にかかっている連絡通路は特別です。インディアナポリス・アーツガーデン(Indiana Artsgarden)…透明な半球のドームが地上5mに浮かんでいます。芸術評議会が現代アートなどを展示するイベント会場で、ショーやコンサートのチケットの売り場もあります。

 高級デパートのノードストロムが出店しているセンターサークル・モールもアーツガーデンと直接つながっているビルの一つ。カールソン・ピリー・スコットは、ボン-トン・グループの傘下に入ってからお手頃なブランド商品を売るデパートになりました。


インディアナセントラル運河とホワイトリバー公園


Indiana Central Canal Plan

 インディアナポリス市内を流れる短い運河にも、インディアナセントラル運河という立派な名前があります。本当はエリー湖とオハイオ川を結ぶワバシ-エリー運河のバイパスとなるはずでしたが、工事を開始して3年後の1839年に市内8マイルが完成したところで計画中止になってしまいました。

 運河はホワイト川の水を引き込んで、流れに並行して掘られました。アメリカの運河は、平底のボートを陸上のラバが引っ張るのどかな輸送システムですから、幅も広くはありません。途中は、高速道路ができたために一度地下にもぐっていますが、南端は再び地表に現れてダウンタウンをかすめ、西に折れて川の流れに戻ります。そのホワイト川の両岸に、市民憩いの場=ホワイトリバー州立公園が設けられました。

 運河の脇は、敷石で舗装されたキャナルウォーク。仕事のストレスを忘れ、日差しを浴びて散歩やサイクリングを楽しむにはもってこいの都心の空間です。陸上では、普段はあまり乗る機会のない立ち乗り自動二輪車セグウェーやサリーという馬車型の二人こぎ自転車など、水上ではペダルボートやゴンドラに乗って遊べます。

 博物館が二つありますが、日本人的にはテーマがマニアックなので、少し尻込みなさるかもしれません。でも、アイテルジョーグ・インディアンと西部のアート美術館は頻繁にインディアンのイベントを催していますから、タイミングを合わせて行けば、お子様連れで楽しめます。

 NCAA(全米大学体育協会)チャンピオンの殿堂は、アメリカ暮らしの短い方には全くつまらない博物館ですが、そのうちに現地校でアメリカ人と付き合っている子供たちにせがまれて、連れて行く日も来るでしょう。殿堂には様々なスポーツの記念物が展示されていますが、中でも花形はアメフトとバスケ。地方都市にも「おらが村」の大学チームがあって地元を挙げて応援していますから、プロの試合より人気は上かもしれません。

 対岸にはインディアナポリス動物園ホワイトリバーガーデンズ(植物園)があります。この動物園では、これまでイルカのパビリオンが売り物でしたが、2012年の拡張で新たにオランウータンの保護区が付け加えられました。園内を巡回するロープウェーに乗って、自由に遊ぶオランウータンの姿を見る仕組みです。

 植物園には1000種を超える植物が展示されています。残念ながら、蝶園は閉鎖されてしまってもうありません。


ユニオン・ステーション


Indianapolis Union Station

 各地で耳にするユニオン・ステーションという名前の駅は、複数の鉄道会社が乗り入れる駅を指すそうですが、1853年にできたインディアナポリスの駅は世界初のユニオン・ステーションでした。20世紀の初めには1日に200本の列車が発着し、シカゴに次ぐ中西部で第2位のハブ駅だった時代もありましたが、今はシカゴ-ニューヨークの観光列車が週に3日停まるだけ。グレイハウンドバスの停留所の役目も務めてはいますが、美しい建物の内部はガラガラで、宝の持ち腐れになっています。

Indiana Pacers

Conseco Fieldhouse

Indianapolis Colts

Lucas Oil Stadium

 駅の周辺には、NBAインディアナ・ペーサーズ(バスケ)の本拠コンセコ・フィールドハウスとNFLのインディアナポリス・コルツ(アメフト)の本拠ルーカスオイル・スタジアムがあります。ペーサーとは、自動車レースで事故が起きたときに危険防止のために先頭を走り後続車のペースを調整する車のこと。コルトといえば英語で若駒(若いウマ)のことですが、これはチームが本拠地をインディアナポリスに移転する以前、競馬の盛んなボルチモアにいた時代に付けられた愛称です。似た例では、NBAで、ニューヨークからソルトレイクシティに移転したユタ・ジャズがあります。


オールド・ノースサイド


 ダウンタウンのすぐ北に、オールド・ノースサイドという高級住宅街があります。シンシナティのオーバー・ザ・ライン歴史地区などと同様で、1848年にヨーロッパ各地で起きた「諸国民の春」と呼ばれる革命が鎮圧され、アメリカの中西部に亡命してきたドイツ移民が大勢いました。彼らフォーティエイターズ(48年組)が住み着いたのが始まりとされています。

 19世紀の末には、お金持ちがこの地に大邸宅を建てるのがブームになりました。中でも、第23代大統領(1889〜93年)のベンジャミン・ハリソンの家モリス-バトラーの家が有名ですが、このバトラーさんはバトラー大学創立者とは別人です。ベンジャミンは、テカムセの戦争で名を上げ第9代大統領となったウィリアム・ハリソンの孫で、根っからのフージャー(インディアナっ子)でした。