ミシガン州・e-ガイド (印刷ページ)

⇒元のページに戻る

五大湖の州

★五大湖の形成 ★五大湖以前の太古のミシガン


 ミシガン州は「五大湖の州」。五大湖に縁の深い州はほかにもありますが、ミシガン州は州全体が五大湖に突き出した半島…位置的にも、下半島は五大湖地方の中心です。

 下半島は、形が似ていることから、ミトン(The Mitten=四本指を一まとまりにした手袋)と呼ばれています。となれば、デトロイトの北方は、親指(The Thumb=サム)地方ですね。

 南西部のインディアナ州に隣接する二つのカウンティは「ミシガン+インディアナ」でミシアナ地方と呼ばれることがあります。中心は、インディアナ州のサウスベンド。

各州の海岸線
Alaska 6,640miles
Michigan 3,224miles
Florida 1,350miles
California

840miles

 ミシガン湖とヒューロン湖やスペリオル湖とエリー湖の一部に囲まれたミシガン州の湖岸線の全長は、あのアラスカ州の長い海岸線の半分近くに達するそうです。内陸にも氷河の名残でできた湖水が多数。レジャーボートの数もカリフォルニアとフロリダに次いで全米三位です。

=== ≪五大湖の形成≫ ===

 氷河期(最終氷期最終氷期直前の間氷期(126万年前))は、2万年前に最寒冷期を迎え1万年前に終わったといわれていますが、五大湖は、地球が現在の間氷期に入り、温暖化により氷河が退行して行く過程で、次第に形を変えながら形成されました。

Pere Marquette River in Autumn Manistee National Forest

Manistee National Forest

Sleeping Bear Dunes.jpg

Sleeping Bear Dunes National Lakeshore

 ミシガンには氷河の侵食作用でできた湖と湿地が無数に残っています。1万4千年前のデトロイトは、エリー湖より大きな湖の底で、湖水の水はセントラルミシガン経由シカゴ湖に注ぎ、南に流れていました。

 下半島の湿地に森林が繁茂したおかげで、ミシガンでは家具作りや馬車作りが栄え、馬車はやがて自動車の車体作りの基礎技術として活きました。

 7千年前には氷河の融水の流れが東に変わり、現ミシガン湖の湖面が100m以上下がり湖底が大きく露出していました。下半島のミシガン湖岸には、西風が氷礫土を運んで築いた砂丘が連なっていますが、多くはこの時期に発達したのかもしれませんね。後背部の水はけのよい土地では、リンゴやチェリーが盛んに栽培されています。

Freighter passing under Macinac Bridge

Mackinac Bridge

 湖面は4千年前に再び上がりました。ミシガン湖の水は、しばらくイリノイ川を通ってミシシッピー川に流れていましたが、現代の水位は、また少しだけ下がり、エリー湖とオンタリオ湖を経由してセントローレンス川に注ぐ流路ができました。

 ヒューロン湖はミシガン湖とマキノー海峡でつながっていて、ジョージア湾も含め三つの湖水は同水位…地理学的には、ミシガン-ヒューロン湖という呼び方が通用しています。

=== ≪五大湖以前のミシガン地史≫ ===

 それにしても、五大湖の複雑な形状はどうしてできたのでしょう?…答は実に複雑です。ミシガンの地理には、北米大陸の地史が凝縮されているのです。

 北米大陸の核は、6億年前に超大陸ロディニアから分裂したローレンシア大陸(先カンブリア代末期(5億5千万年前))です。

 その後の地球には海面上昇期が度々来ましたが、大陸の陸地中央部のカナダ楯状地が海面下に沈むことがありませんでした(オルドビス紀後期(4億5千万年前))。海中に沈んだ周辺部には、その都度、新しい堆積物が地層をなしています。

 ミシガン盆地はカナダ楯状地の外縁で、海面上昇のたびに湾を形成していました。ローレンシア大陸が赤道直下に移動し、動植物が大繁栄したデボニア紀から石炭紀にかけた頃も、盆地はは海辺や浅い海でした。下半島で石油や天然ガスが採掘されるのはその名残です。

「塩なめ場(Salt Lick)」の例

 各地に岩塩が露頭し、野生動物が春先に「塩なめ場」ミネラル補給をしました。インディアンには、もちろん申し分のない狩猟環境です。

 初期のグランドラピッズでは、露出した石膏(硫酸カルシウム)が重要産品でした。親指地方のミッドランドでは、地下に眠る塩水から臭素を取り出す技術を発端に、ダウ・ケミカルが創業しました。

Afar Triple Junction

 2億5千万年前以降、カナダ楯状地の外縁に沿って侵食が進み、ナイアガラ断崖が徐々に形成されて行きました。氷河も、ミシガン盆地中心部より周辺部を深く侵食し、下半島は陸地として残りました。

 ところで、エリー湖は1万4千年前にできたモーミー湖の名残といえましょうが、スペリオル湖とオンタリオ湖の成因は、ミシガン-ヒューロン湖の場合と全く異なります。

 オンタリオ湖は5億7千万年前に形成されたセントローレンス地溝帯の一部と推定されていますが、スペリオル湖はさらに古く、11億年前に形成された大陸中央地溝帯の中心でした。現代でいうと、紅海とアデン湾とアフリカの大地溝帯の三つ巴の地殻変動(右図)に似ています。

Quincy Mine

Keweenaw National Historical Park

 地溝帯は、ミシガン下半島のデトロイト付近まで伸びていますが、何度も海面下を経験した下半島には堆積物が重なって陸地となり、カナダ楯状地のスペリオル盆地は氷河に侵食されて湖水になりました。

 スペリオル湖の中心は隆起して、南北の縁が水面上に出てアイルロイヤル島とキーウィノー半島になりました。露頭した火山性の地層からは自然銅が見つかり、19世紀半ばから盛んに採掘されるようになりました。

 1844年には上半島のマーケットで鉄鉱石が発見され、その後、上半島とミネソタ州の北東部で採掘された鉄鉱石は、五大湖沿岸のゲーリーやクリーブランド、バッファロー、ロチェスター、さらにピッツバーグなどに運ばれ、アメリカの重工業の発展を支えて来たのです。