シンシナティの沿革


Licking River

 シンシナティは、オハイオの中で最も早く開かれた土地です。独立戦争前にはイギリスの保護下でインディアンの土地でしたが、戦後に独立戦争に従軍した人々に優先的に分け与えられました。

 南隣のケンタッキーは一足先に開拓が進んでいました。最初にノーザンケンタッキーから入植した人々は、リッキング川河口の対岸という意味でロサンティビルと名前をつけたそうです(L=Licking River, os=ラテン語で口, ainti=ギリシャ語で反対, ville=フランス語で市)。

Society of Cincinnati

Cincinnatus

 ところが、その頃、独立戦争退役兵の栄誉を讃えるためにシンシナティ協会というクラブが設立されていました。シンシナティというのは、危機のたびに独裁官に指名されて敵を打ち破り、危機が去るとまた農民に戻ったと伝えられるローマの伝説的英雄キンキナトゥスの名前にちなむものです。

 そこで、新興の町はわずか2年でシンシナティと改名します。丘陵の多いシンシナティは愛称でセブンヒルズと呼ばることがありますが、元祖セブンヒルズはイタリアのローマ。キンキナトゥスの像は、リバーフロントのソーヤーポイント公園に立っています。

 やがてオハイオ川を蒸気船が往き来するようになります。1845年には五大湖経由でニューヨークとつながるマイアミ-エリー運河が全通。南北戦争後に鉄道の時代が来てシカゴにトップの座を譲り渡してからも、シンシナティは主に農畜産物の集積地として今日まで発展してきました。


リバーフロント


Roebling Suspention Bridge

Big Mac Bridge (Daniel Carter Beard Bridge )

Purple People Bridge (Newport Southbank Bridge)

 ダウンタウンのリバーフロントと対岸のケンタッキーの間には7本の橋がかかっていますが、その中で特に親しまれている橋が3つあります。一つめは、ワイヤロープを使い、次々と大型架橋工事を手がけたローブリング技師の名を残すサスペンションブリッジ(吊橋)。1866年の完成で、桁長(322m)は世界最長でした。3年後にローブリング技師はさらに大きな橋に挑んでいる間に破傷風で亡くなってしまいます。その遺志を妻子が引継ぎ、難工事の末に1883年に完成したのがニューヨークのブルックリン橋(桁長486m)…荘厳で優美な形状がよく似ています。

 1950年代までは路面電車も通っていました。今は、リバーサイドでスポーツ観戦をする人たちが、ケンタッキーサイドに駐車して川を越えて歩いて来るのにも重宝されています。グレート・アメリカン球場を本拠とする大リーグのシンシナティ・レッズは1882年のアメリカンリーグ(前身)発足時から続く名門チームです。NFLシンシナティ・ベンガルズのポール・ブラウン・スタジアムは、普通はお金のために建物の名前を売る時代に、初代の名監督の名前をつけた奇特なスタジアム。USバンク・アリーナには、シンシナティ大学のバスケットボール・チームを応援するファンが押しかけます。

 Riverfest's  Fireworks "Waterfall"

 二つめは、左右のアーチがマクドナルドのトレードマークに見えるので「ビッグマック」の愛称で呼ばれるダニエル・ビアード橋。三つめは、愛称「パープル・ピープル」のニューポート・サウスバンク橋。もとは鉄道橋でしたが、2003年に歩行者専用橋として再生しました。ニューポート水族館(ホームページはこちら)があるイベント広場と、9月(レイバーデー前日の日曜日)の花火大会「リバーフェスト」や10月のリバーボートのお祭「トールスタックス(Tall Stacks=高い煙突)」の会場ソーヤーポイント公園を結ぶ便利な橋です。ただし、アーチの上に登って渡る「ブリッジクライム」は資金不足で休止中。

Taft Museum

 ケンタッキーサイドの橋のたもとからは遊覧船が出ています。スター船ベル・オブ・シンシナティは、引退したデルタ・クイーンに代わって、ケンタッキー・ダービー前のベル・オブ・ルイビルと対抗戦グレートスチームボートレース(大蒸気船競走)に出場するようになりましたが、煙突は飾りで本当の蒸気エンジンで動いているわけではありません。

 リバーフロントには、黒人奴隷の逃亡を助けた「地下鉄道(Underground Railroad)」の歴史を残す国立「地下鉄道」フリーダムセンターもあります。シンシナティは南部との通商の中心地であるとともに、アパラチア山脈より西の黒人には最も近い北部の「地下鉄道」拠点でした。

 タフト美術館は1820年に建てられた邸宅で、そもそもは第27代のタフト大統領の兄夫妻が住んでいたそうですが、1927年に美術品のコレクションとともにシンシナティ市民に寄贈されました。レンブラントやコロー、アングルなど日本人にもなじみの深いヨーロッパの画家の作品もあります。


オーバー・ザ・ラインとダウンタウン周辺


 ダウンタウンでは、2016年に路面電車がモダンな車両で久々の復活を果たしました。料金は2時間1ドル、1日乗り放題でも2ドル。北のオーバー・ザ・ライン歴史地区との間を循環運行していますから観光に便利です。

⇒Cincinnati Bell Connector

 ヨーロッパでは、1848年に全土で「諸国民の春」と呼ばれる革命の嵐が吹き荒れました。ドイツでも南部と西部を中心に、より自由で民主的な統一ドイツを求める人々が立ち上がりましたが、鎮圧されて一部はアメリカに亡命を余儀なくされました。いわゆるフォーティエイターズ(48ers=48年組)の人々です。

 オハイオ州はもともとドイツ系移民の多い地域でしたが、シンシナティにも多数のフォーティエイターズがやってきます。古い市街の北辺に沿って建設されたマイアミ-エリー運河を、故郷を懐かしむ人々は「ライン川」と呼び、運河の北に新しく開かれた住宅街をオーバー・ザ・ラインと呼ぶようになったそうです。

 オーバー・ザ・ラインでは、当時流行していたイタリア様式の建物を中心に943の文化財が登録されています。ニューオリンズのフレンチクォーターや、サバンナやチャールストン、ニューヨークのグリニッジビレッジにも匹敵し、無傷で残る歴史地区としては全米で最大規模です。シンシナティ交響楽団のミュージック・ホールフィンドレーマーケットもオーバー・ザ・ライン。シンシナティ・バレーの本拠もあります。

Over-the-Rhine

Findlay Market

Findlay Market

Over-the-Rhine 12th and Vine

12th & Vine Corner

Cincinnati Music Hall

Cincinnati Music Hall

American Classic Hall of Fame

Cincinnati Museum Center

 将来的には、路面電車はシンシナティ動物園やユニオン・ターミナル駅の方面にも伸びるそうです。国定歴史建造物のユニオン・ターミナル駅は、今はシンシナティ・ミュージアムセンターの別名で、自然史博物館シンシナティ歴史博物館子供博物館、ドーム型大スクリーンのオムニマックスシアターを収容しています。

 本来の駅としてあまり機能していませんが、シカゴとニューヨークを結ぶアムトラックの観光列車カーディナル号が停まります。シンシナティからは、オハイオ川沿いにウェストバージニア入りして、首都ワシントンから北に上りニューヨークのペンステーションに至る18時間のコースで、料金は$172〜。ただし、ダイヤは週に3日で、シンシナティ発は午前3時半…景観を楽しむには徹夜するか早起きするしかありません(⇒時刻表)。

 ビジネス街にある現代美術センターは、コレクションを持たずに「ほんの5分前の最新アート」を発表する美術館で、アンディ・ウォーホルも含め数多くの無名アーティストを世に送り出してきました。


マウントアダムズ


Mount Adamas (右は昔の黄線枠付近)

ケーブル台車で電車を運び上げた(⇒拡大)

 I-71の東にはマウント・アダムズという丘陵があります。1872年から1948年まで、ここにも路面電車が通っていました。丘の上のエデン公園はもともとはシンシナティの水源として市が購入したもので、その後市民の憩いの場の役を担うようになってきました。公園には、シンシナティ美術館クローン温室シンシナティ・プレイハウスなどがあります。

 シンシナティ美術館の創設は1881年でした。日本的感覚では大昔とも思えませんが、急ピッチで膨張していた当時の中西部で最も古い美術館だそうです。世界各地の美術品が集められていますが、欧州系では、タフト美術館にもあったコローやアングルに加え、日本人に愛されている画家といえばボッティチェリやルーベンス、ルノワール、モネ、ピカソなどの作品があります。


グレートシンシナティ


Immaculate Conception Church

Holy Cross Immaculata

St. Peter in Chains

Wise Temple 

 美しい教会が多数ありますが、写真ではカトリックの鎖の聖ペテロ大聖堂ホーリークロス聖母懐胎教会、ユダヤ教のワイズ・テンプル(旧称プラムストリート・テンプル)をご紹介しましょう。史跡には、タフト大統領の生家と「アンクル・トムの小屋」で悲惨な黒人奴隷の生涯を描いたストウ夫人の家があります。市内東部にはシンシナティ天文台、西部にはシンシナティ市街を眺めるなら一番のマウント・エコー公園があります。

  ところで、シンシナティはキングスアイランドコニーアイランドの2つの遊園地があります。キングスアイランドの方が大きくて本格的な遊園地ですが、本家はコニーアイランドの方です。シンシナティのコニーアイランドは、ニューヨークのコニーアイランドにあやかって1886年にコニーアイランド・ウェストとしてオープンしたのですが、手狭になったので1971年に実質的にキングスアイランドに移転して拡張したのです。

 現在のコニーアイランドはウォーターパーク中心でジェットコースターが1機。お隣のリバーダウンズ競馬場はトラブル続きで、実態はドッグレース場同然でしたが、ベルテラパーク競馬場と改称して本格的なサラブレッドのレースが行われるようになりました。


オハイオ川対岸(ノーザンケンタッキー)


 下の案内図で、オハイオ川にかかる7本の橋について復習してみましょう。対岸のケンタッキー州側に歩いて渡れる橋が3本あります。リッキング川の西がコビントンで東がニューポート…グルッと大回りして両岸のビルのスカイラインを眺めながら散歩することこそ、シンシナティ観光の真骨頂かもしれません。

オハイオ川にかかる7本の橋(⇒拡大)

Newport Aquarium

Newport on the Levee

 ニューポート水族館は、ニューポート・オン・ザ・レビー(堤防)という行楽要素の強いショッピングモール兼イベント広場にあります。ミッチェルズ・フィッシュマーケットというシーフードレストランは日本人の皆さんにお勧め。

MainStrasse Village

 コビントンのイベントの中心は、19世紀半ばにドイツ系移民が開いたマインシュトラッセ・ビレッジ(ホームページはこちら)…初夏から秋にかけては毎月のバザーのほかに、5月にメイフェスト、6月には地元産ソーセージのお祭り、10月にオクトーバーフェストと催しが続きます。

 少し遠いところではビッグボーンリック州立公園に一度立ち寄ってみるのもよいでしょう。ここに洪積世(~1万年前)の巨象マストドンやバッファローやウマの祖先、全長6~8mもあったナマケモノの祖先の骨が埋まっていることは、18世紀後半の独立戦争の時代に既に知られており、地元ではアメリカの考古学発祥の地と呼んで自慢しています。

 ビッグボーンリックはノーザンケンタッキーに多い動物の塩なめ場(Salt Lick)の一つで、かつてはインディアンのよい狩猟場でした。古代生物の多くは付近の沼地に足を取られて溺れ死んだものと考えられています。取り立てて見るものが多くはありませんが、私たちは10数頭の生きているバッファローの群れを身近に見ただけで満足しました。

Big Bone Lick State Park

Creation Museum (Garden of Eden)

Ark Encounter

 さて、どちらかといえば宗教施設で冷やかしで訪れたら不謹慎ですが、ノーザンケンタッキーには2001年に天地創造博物館(Creation Museum)、2016年にノアの方舟テーマパーク(Ark Encounter)と、2つの風変わりな観光スポットができました。作ったのは、ダーウィンの進化論を否定するキリスト教の超保守派の人々。博物館の展示物は、恐竜が人間と同じ時代に闊歩して生きていたという設定です。人も動物も、(紀元前数千~1万年前に)旧約聖書に書かれている通り、神様の手で天地創造の5~6日目に誕生させられたそうです。