昔、中学の社会科で「ニューディール政策」というのを習ったはずですが、覚えておられますか?1929年の大恐慌から不景気にあえいでいたアメリカを救ったルーズベルト大統領(1932-45)の積極財政=内需拡大策で、その目玉が「テネシー渓谷公社法」でしたね。 巨大なアメリカの経済を「たかが1本の川」が救えるものかしら?と永年不思議に思っていたのですが、右の図を見つけて目からうろこが落ちました。テネシーは至るところ川だらけダム湖だらけ、テネシー川とカンバーランド川の流域はケンタッキーやジョージア、アラバマなどの周辺州に大きくはみ出しているではありませんか。もう少しで日本の本州に匹敵しそうなサイズです。 テネシー渓谷公社(TVA=Tennessee Valley Authorityy)ができた1933年当時の東部テネシーは全米でも際立って貧しい地域で、住民の3割がマラリアを患っていたのだそうです。TVAはダムを造り電力と地域住民の就労機会を生み出していったばかりでなく、やせた農地を施肥により回復させたり、無秩序に伐採された森林に計画植林して山火事を防止する事業も併せて実行しました。文明から取り残されていた民家に電燈の灯がともり、安い電力を目当てに多くの紡織工場ができてテネシー州周辺が工業化していきました。 ノックスビルの南(メリービル付近)にアルコア社のアルミニウム精錬工場ができたのは1910年のことでしたが、第二次大戦で飛行機用に大量のアルミニウムが必要になると、TVAはダムを増設して電力需要に応えたのだそうです。巨大化したアルコア社は、当時は独占禁止法で解体される危機に直面していましたが、開戦後、後の33代大統領トルーマンは「アルコアだろうがアル・カポネ(シカゴ・マフィア)だろうが、アルミニウムをくれる奴が誰だろうとかまわん」と言ってアルコア社の後押しをしたのだそうです。 その頃、ノックスビル西方のオークリッジでは、極秘裏に、豊富な電力を使い、ウランとプルトニウムを分離精製して原爆を作る「マンハッタン計画」の研究が進んでいました。中学の社会科では教わりませんでしたが、テネシー渓谷公社は、日本の敗戦に深く関係していたのです。 |