ダラスとフォートワースは双子都市…大草原に居をかまえる全米第4位の都市圏です。テキサスの農業といえば綿花の栽培、牧畜といえば牛の放牧ですが、ダラスとフォートワースは、早くから、それぞれ綿花と肉牛の集積場として発展してきました。 ===== ≪南西部の物流ターミナル≫ ===== メキシコから独立したテキサスが、めでたくアメリカに併合されて約30年…1870年代の初めに、湾岸のヒューストンと中西部のセントルイスを南北に結ぶ鉄道が、ダラスで連結しました。西海岸のカリフォルニアに向かう東西路線の工事も始まり、ダラスで交差します。ダラスは、北のシカゴに対応して、南西部の物流ターミナルの役割を果たすように運命づけられていたのです。 ===== ≪綿花とウシ≫ =====
テキサス産の綿花は、ダラスに集まり、ヒューストン経由でガルベストン港から積み出されるようになりました。それまで、カウボーイが、はるばるカンザスまで追い立てて行った牛の群れは、フォートワースのストックヤーズ(家畜保管場)経由で全米各地に出荷されるようになりました。 ===== ≪テキサス石油ブーム≫ ===== それから、また約30年。20世紀に入ると同時に、テキサスで最初の油田が発見され、テキサス石油ブームが始まります。場所はヒューストン東方のボーモントでダラスとは離れていましたが、さらに30年すると、ダラスの近所で大油田が続々と発見されるようになりました。東テキサス油田です。これが、第二次世界大戦に至る軍拡時代の旺盛な石油需要を支える切り札となり、ダラスは石油産業の基地としてアメリカの期待に応えました。
戦後は、西部テキサスの油田開発が進み、東テキサス油田の地位は相対的に低下します。さらに、海外からの原油輸入が増えるにつれ、精製施設が多いヒューストンの方がビジネス的に重要になっていくのですが、それでも、ダラスには石油スーパーメジャー6社の中でも最大のエクソン-モービルの本社が残り、今日に至るまで世界に君臨しているのです。 ===== ≪ボニーとクライド≫ ===== そんなわけで、「プレーリー&レイクス」地方を一言で表せば、西部劇映画に登場する牧場のど真ん中に、超現代的なダラス-フォートワース都市圏がタイムスリップしてきたかのような地域です。偶然に過ぎないのかもしれませんが、これまで、周辺では、保守とリベラルが対立するアメリカの悩みを浮き彫りにするような事件が30年おきに起きています。
最初は、映画「俺たちに明日はない」で有名な銀行ギャング「ボニーとクライド」。1934年に隣のルイジアナ州でFBIの銃撃を受けて死亡した後、故郷ダラスの墓地に葬られました。当時のアメリカは大恐慌の真っ只中でしたが、ダラスには一攫千金を目論む石油の試掘屋(Wildcatters)が押しかけ、街は熱狂に包まれていました。 ===== ≪ケネディ大統領暗殺事件≫ =====
次は1963年、人種差別の廃止を強く訴えていたケネディ大統領が選挙遊説中に暗殺されたのもダラスでした。犯人のオズワルドが狙撃に使ったとされるテキサス教科書倉庫ビルは、歴史を後世に伝える博物館として大切に保存されています。 ケネディ暗殺事件の謎が深まったのは2日後のオズワルド射殺事件でした。テレビ中継中のオズワルドを撃ったのは、ダラスのナイトクラブ経営者ジャック・ルビー。真犯人は別にいるというオズワルドおとり説から、KGB(ソ連諜報機関)やマフィアの黒幕説まで、未だに巷間の噂が絶えません。 ===== ≪ウェイコ・カルト教団事件≫ =====
1993年には、ダラスから100マイル南のウェイコで、子どもを含むキリスト教系カルト教団の信者74人が教団事務所に51日間立てこもりを続けた末に集団自決する事件がありました。カルト教団の人々を窮地に追い込んだ政府治安部隊の包囲作戦が失敗した結果です。 これに報復するために「自由至上主義」の右翼青年が、2年後にダラスから200マイル北のオクラホマシティ連邦政府ビルを爆破…多数の子どもを含む168人が死亡する事件を引き起こしました。日本では、地下鉄サリン事件があった1ヶ月後のことです。 血なまぐさい事件を続けてお話しした後では取って付けたように聞こえるかもしれませんが、一つ見方を変えると、大都会の刺激と牧場や湖のいやしが隣り合う極めてぜいたくな居住環境。観光も大いに楽しめる地方です。 |