ゲートウェイアーチ
@ ミズーリ州セントルイス
西部(オレゴントレイル)に旅立つ入場門
Googleマップと画像やYouTubeの動画で、皆さんに各地の生活と観光や行楽に役立つ情報をご案内できるようになりました。そこで、最近は記事を後回しにして、中西部と南部の全域をくまなく地図に記そうと全速で作業しているのですが、中には知らないと地域全体が理解できない決め手の建造物や旧跡があります。
その代表例がミズーリ州セントルイスのシンボル「ゲートウェイアーチ」。今月は、セントルイスの「ゲートウェイアーチ」の由来と観光ポイントについてご説明して、来月以降、引き続き月一本の記事のペースで、各地の観光スポットやトピックスをご紹介していくことができればいいと思っています。
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ルイス&クラーク探検隊 ===
ルイス&クラーク探検隊の進路 |
独立戦争(1775-83年)が終わって20年後の1803年にアメリカは、フランスからミシシッピー川西岸の広大な領地(ルイジアナ=ルイ王朝の土地)を買収するビッグ・チャンスをつかみました。もちろん、原住民のインディアンの意思を無視して白人同士が取引した話です。
当時、その西のオレゴン・カントリー(現在のオレゴン・ワシントン州とカナダのブリティッシュコロンビア州)の所属は決まっていませんでした。そのままでは、スペインやイギリスのものになってしまいますから、時のジェファーソン大統領が、ルイスとクラークに太平洋への道を探す任務を与えました。
コロンビア川を下る探検隊 |
探検隊の出発地はセントルイスでした。セントルイスは、ミシシッピー川とミズーリ川の合流点で、対岸では現在のシカゴ方面からイリノイ川も合流する交通の要衝で古くから開けていました。一行はミズーリ川をさかのぼり、ロッキー山脈を越えてからはコロンビア川を下り、現在のオレゴン州ポートランド付近で太平洋に到達しました。
この探検が、アメリカのミシシッピー川以西の西部開拓時代の始まりでした。さらに歴史は太平洋進出の時代へとつながったのです。南北戦争は1861-65年でしたが、多くの退役兵が西部に流れ、テキサスで育てた牛をカンザスの駅から鉄道でシカゴに積み出す「カウボーイ」という当時の花形の職業に就きました。
ちなみに日本に最初の黒船来航があったのは1853年。明治維新(元年)は1868年で、日清戦争が1894-95年、日露戦争が1904-05年、パナマ運河の開通は1914年でした。
アメリカの西部・太平洋史年表
1803-05年 |
ルイス&クラーク探検隊
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1810-13年 |
アスター探検隊(幌馬車にも優しいオレゴントレイルのルートを発見)
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1821年 |
メキシコがスペインから独立
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1830-35年 |
涙の旅路(南東部インディアン5部族を現オクラホマ州に強制移住) |
1835年 |
テキサス共和国がメキシコから独立
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1843年 |
1843年の幌馬車隊(開拓者千人がオレゴンに入植)
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1846年 |
オレゴン協定でアメリカとカナダの国境が決定
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1846-69年 |
モルモン教徒が現ユタ州に大移動 |
1848年 |
米墨戦争でカリフォルニアほか現南西部諸州のメキシコ領を獲得
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1848-55年 |
カリフォルニア・ゴールドラッシュ(サンフランシスコ周辺)
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1852年 |
西海岸初の本格港湾がサンフランシスコ対岸のオークランドに開港
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1854年 |
カンザス-ネブラスカ法 |
1858-61年 |
コロラド・ゴールドラッシュ |
1867年 |
ロシアからアラスカ購入 |
1869年 |
大陸横断鉄道開通(カリフォルニア州サクラメント-ネブラスカ州オマハ)
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1890年 |
フロンティアの消滅(全米でインディアンを駆逐) |
1892年 |
ロサンゼルスで石油発見
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1898年 |
ハワイ併合、フィリッピン植民地化 |
1901年 |
テキサス州ヒューストン付近で石油発見 |
1913年 |
ロサンゼルス用水路が完成して水不足が解消
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アーチの建設 ===
ゲートウェイアーチは、かつて西部に旅立つ人々にとって「玄関口」だった都市セントルイスを象徴する巨大なアーチ型の門で、ダウンタウンのミシシッピー川河岸に建てられました。
セントルイスにジェファーソン大統領とルイス&クラーク探検隊の業績を讃える建造物を設ける計画は、早くも1930年代に始まっていたのですが、第二次世界大戦で大幅に遅れてしまいました。
展望デッキの窓
アーチの内部 |
1947年には公募でフィンランドの建築家サーリネン設計のデザインが採用されましたが、プロジェクトは朝鮮戦争で再び中断して、工事が始まったのはケネディ大統領時代の1961年。サーリネンはその年に亡くなり、ケネディも翌々年に暗殺されて二人ともアーチを目にすることはできませんでした。
アーチは、真ん中に挟んだ仮設の梁(はり)を少しずつ持ち上げながら左右同時に建て進められ、最後の部品によりアーチが連結される様子は、1965年10月28日全米にテレビ中継されました。世界の建築史にも例も見ない特異な構造の建造物で、アーチ建設の記録映画も観光のポイントの一つです。
アーチの中は中空になっていて、カプセル型の乗り物で展望デッキに上れる仕掛けになっています。地下には、ルイス&クラーク探検隊に関連する博物館があります。
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セントルイス万博 ===
1904年に開かれたセントルイス万博も、ジェファーソン大統領のルイジアナ購入100周年を記念したもので、オリンピックも共催されました。会場は当時のセントルイス市街最西端…現在はフォレストパークとワシントン大学(セントルイス)のキャンパスとして残っています。
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セントルイス・ブルース ===
しかし、セントルイスを語るには、黒人文化のブルースやジャズを忘れてはいけません。セントルイスは、プロもビギナーもあらゆるジャンルの音楽を演奏できるコンサートホールやライブハウスが街中に立ち並ぶ音楽都市です。セントルイス・e-ガイドの地図上でミュージックスポットの
マークをクリック、YouTubeの動画でそれぞれ微妙に違う雰囲気を味わってください。
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トム・ソーヤの町 ===
そういえば、ミシシッピー川を約100マイル(160q)さかのぼったハンニバルは、マーク・トウェインの「トム・ソーヤの冒険」の舞台…付近には、トムとハックルベリーが金貨を見つけたインジャン・ジョーの洞窟など物語のモデルになった1830年代の風景が今も残っています。
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