崩れかけた廃屋が軒を連ね、空き地は雑草に覆われ、
破産申請したデトロイト市の悲鳴が聞こえます!!
7月18日に破産申請をして以来、日米マスコミがデトロイト市の惨状をあれこれ報道しています。疑うわけではありませんが、マスコミは何でも誇張して伝える習性がありますから、報道がどこまで真実に近いか調べてみました。
最初にお断りしておきますが、日系企業があり日本人が多く住んでいるのは、デトロイト市から少し離れて独立した自治体です。これから「デトロイト」に赴任して来られる皆さんは、あまり心配なさらないでください。
大雑把にいうと、デトロイト市は東西30q南北12〜13qの長方形。日本人が多く住んでいる地域を含んで長方形を描くと(アナーバーを除いても)東京都など小さな都府県に匹敵するほどの広い地域です。
まずは、英デイリーテレグラフ紙がYouTubeに投稿した動画をごらんください。
上の動画には「有名」な廃墟や空きビルが登場しますが、それぞれの場所は下の地図で確認できます。
旧ミシガンセントラル駅と旧パッカード工場
Michigan
Central Station |
冒頭に一瞬登場した画像は、1920年完成のミシガンセントラル駅。1988年に閉鎖されてから廃墟(bingmap)と化し、斜陽デトロイトの象徴のような扱いを受けてきました。
リーマンショック直前の2008年には野心的な復元計画が浮上しましたが、総額8千万〜3億ドルの費用がかかるといわれ、改修は今のところ進んでいません。
ニューヨークのグランドセントラル駅と同じ設計事務所の手による18階建ての駅舎で、待合室はローマの大浴場に模して作られ、アーチ天井に大理石の壁を配しています。
Packard
Automotive Plant |
1958
Packard |
もう一つの象徴的廃墟が、動画の最終パートに登場した旧パッカード工場です。1903年に建設を始め8年がかりで完成させた大工場で、1958年にパッカードが撤退した後も90年代まで地場企業の工場や倉庫として役立っていましが、その後は退去者が相次ぎ廃墟(bingmap)化したものです。
ダウンタウンとミッドタウン
動画のレポーターが「あのビルもこのビルも30年空き家だ」と語っていたのは、ダウンタウンの環状線の内側で、キャピトルパークの周辺です。Googlemapの写真を一つ一つごらんください。中にはビルの内部を撮った写真もあります。
Renaissance
Center |
ダウンタウンにはGMのルネッサンスセンターやデトロイトモーターショーの会場があるリバーフロント(bingmap)と、劇場街と球場やアメフトのスタジアムがある北東部(bingmap)など華やかな地域もありますが、環状線の外には空き地や駐車場が目立ちます(bingmap)。
Brewster-Frederick
Homes |
ミッドタウンも同様で、ウェイン州立大学や美術館・博物館があるカルチュラルセンターや医療機関が集まるメディカルセンターはよいのですが、その他の地域…特に歴史的価値の高い家が多いブラッシュパーク歴史地区(bingmap)では荒廃が進み、今や過半の区画で廃屋が撤去され周囲に空き地が拡がっています。
その東には、1935年にルーズベルト大統領夫人が鍬入れして貧しい黒人労働者のために建設した団地があります。ダイアナ・ロスなど著名人が住んでいたことでも有名で、1952年に完成し、ピーク時には1万人を収容できる大団地でしたが、60-70年代に入居者の審査を甘くしてから犯罪者の巣窟となり衰退しました。いずれ全棟を解体することになっていますが、窓の割れた無残な姿(bingmap)をさらしています。
郊外の住宅地
Urban
Prairie |
郊外の住宅地も、広い範囲で荒れ果てています。廃屋が撤去された空き地には雑草が茂り、今や「都会の草原(アーバン・プレーリー)」と呼ばれるまでになりました。
デトロイトの2009年と2012年の風景を見比べるサイトがありますが、3年の間に見捨てられた家がたくさん写っています。市内各方面の5例とリンクしましたが、東のイングリッシュビレッジや西のスプリングウェルズビレッジは歴史地区、デトロイト市立空港付近、ウェストゴールデンゲート通りやパットン通りは一般住宅地です。
Abandoned
House |
1950年の国勢調査で180万人だったデトロイト市の人口は、2010年には70万人に減っています。廃ビルが7万棟、廃屋が3万1千軒、建物のない空き地が9万区画というすさまじい統計もあります。
2012年に売買された家の平均価格は、7500ドル。2013年1月現在、500ドル以下の売家が47軒、うち5軒は1ドルというのですから、家が放棄されるのも無理はありません。新たに家を購入する人には補助金を出す制度まであるようです。
デトロイト衰退の歴史
どうやらデトロイト市の破綻は、昨日今日の不況が原因ではなさそうです。右は、デトロイト広域都市圏の人種別の居住地域を示す地図ですが、デトロイト市境界で白人と黒人の居住区が明白に分かれているのには驚かされます。
南西のオレンジ色の地域はメキシカンタウンと呼ばれるメキシコ系の人々が多く住む地域です。中央近くで赤みがかった地域は、デトロイト市域内の二つの別自治体の一つハムトラミク市。東欧系や黒人のほか、中東や南アジアから新たな移民がやってきて共存しています。
ハムトラミク市には、南の市境をまたいでGMのキャデラック工場があり雇用が確保されているためか、市内には住宅が整然と建ち並び(bingmap)、デトロイトの風景とは一線を画しています。
1967
Detroit Riots |
戦後のデトロイトには黒人住民の数が急速に増え始め、逆に1950年代には白人が郊外のベッドタウンに出ていく都市のドーナッツ化現象が起きます。
1967年には47人の死者を伴う黒人暴動が起き、70年代にはハロウィーン前夜の「悪魔の夜」に放火する遊びが流行り始め、白人と黒人の人口が逆転します。
その頃から日本車に追い上げられてデトロイト経済は低迷。黒人人口も頭打ちとなり、2000年代半ばにはついに黒人住民もデトロイトに見切りをつけて出ていくようになりました。
もちろん、この間も、デトロイト市や住民が手をこまねいて何もせずにいたわけではありません。「ルネッサンス(再生)」をスローガンに寄付を集め、歴史的な建造物の改修や保全に努めてきましたが、焼け石に水。
日本のマスコミも伝えていたことですが、今は、街灯の4割が切れて点灯せず、(おそらく要員不足で)救急車の3台に2台が休業状態。911コール(119番通報)で警察が駆けつけるまでの時間は、全米平均11分に対しデトロイト58分。犯罪検挙率は、ミシガン州平均30.5%に対しデトロイト8.7%と、実にお寒い状況です。
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