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2014年5月15日(第95号)


オレゴントレイルの奇岩は幌馬車隊の道しるべ

 北部大平原と北部山岳部の観光・e-マップ B

 アメリカ北部の大平原や山岳部の観光ガイド第3部は、オレゴントレイルです。私たち(団塊の世代の高齢者)は、子供の頃に白黒テレビで「ララミー牧場」というアメリカの連続ドラマを見たりしたものですが、そのワイオミング州ララミーにオレゴントレイルで最も由緒あるララミー砦がありました。

 ララミー砦は元は交易所でしたが、1849年に陸軍が買い上げ、幌馬車隊をインディアンから守る拠点にしました。1849年といえば、前年にカリフォルニアで金が発見され、フォーティーナイナーズ(49ers)と呼ばれる探鉱者がオレゴントレイル経由カリフォルニアに殺到したゴールドラッシュの年です。


オレゴントレイル


---------- ネブラスカ州 ----------

 初期のオレゴントレイルの幌馬車隊は、サンタフェトレイルと同じく現カンザスシティのインディペンデンスをスタートして行きましたが、1854年にインディアンがネブラスカ東部を手放してからは、陸路で近いオマハの方が便利に使われるようになりました。

 道路標識のない時代ですから、沿線の珍百景が貴重な道しるべになりました。カーニー砦を過ぎ、オレゴントレイル最初の目印にはコートハウス&ジェイル(裁判所と牢獄)ロックというぶっそうな名前がつけられました。続いて、チムニーロックにスコッツブラフ。

---------- ワイオミング州 ----------

 ララミー砦のフェリーで南岸に渡った開拓者たちは、レジスタークリフ(記帳の崖)で立ち止まり、家族の名前を記して行きました。幌馬車隊はキャスパー砦で再び北プラット川を渡ります。この地方では1865年にプラット橋の戦いがあり、陸軍がインディアンの大軍に惨敗しました。

 幌馬車隊は、草木のまばらな平原を、北プラット川支流のスイートウォーター川 ()に沿って西に進みます。最初の目印はインディペンデントロック、デビルズゲートを過ぎてどんどん行くと、サウスパス…ここは大陸の分水嶺です。標高は2259m。山に邪魔されず、ロッキー山脈を越えられる峠はほかにありません。

Overland Trails

 大陸分水嶺を越えるとパシフィック・スプリングスという水源がありました。小さいながらも、この泉の水はパシフィック・クリークという小川から大小のサンディ川、グリーン川、コロラド川を経て太平洋のカリフォルニア湾に注いでいます。

 ここまで一本道で来た幌馬車隊の街道も、このあたりからは目的地別に分岐し始めます。

 オレゴントレイルの本線はいったん南下。流れの遅い浅瀬でグリーン川を渡り、ブリッジャー砦でソルトレイクシティに向かうモルモントレイルと分かれてから、北上しました。

 途中のグリーンリバー(動画)は大陸横断鉄道の要衝で、鉄道ファンでなくても一度は訪ねてみたい西部の町です。

 ビッグサンディー川はドライサンディー川とも呼ばれたほどで、天候に恵まれれば、川沿いに下りフェリーで対岸に渡る近道も便利でした。しかし、気まぐれにたびたび氾濫して幌馬車隊を困らせたようです。

---------- アイダホ州 ----------

17500年前の古代湖

 しばらくするとアイダホ州。最初の目印はソーダスプリングスの間欠泉です。ポートナフ川を下っていくと、ホール砦でスネーク川に出会います。

 ここから南に行けばソルトレイクシティ…これは実は氷河期の末期にボナビル湖という古代湖がレッドロック・パスという所で決壊して土砂を流し去ってできた道です。

 当時の山岳地帯は湿潤で、あちこちに巨大な湖が形成されました。ボナビル洪水は川筋に沿って流れ下り、スネーク川には幅広い河岸平野を残し、現ワシントン州の高原にも果樹栽培に適した排水性のいい土砂を運びました。

 ボナビル湖は3万2千年前に生まれ、14500年前の洪水で一気に縮小したと考えられています。グレート・ソルトレイクは、その名残りです。

 ちなみに、現モンタナのミズーラ湖は15000〜13000年前に何度も洪水を繰返して消え、現ネバダのラホンタン湖は干上がって消えたといわれています。1回の水量ではボナビル洪水は更新世最大の洪水だったかもしれません。

 ホールズ砦付近にあったアメリカンフォールズは1923年にダムができてなくなってしまいましたから、次の目印はマサカーロックス…付近の「月面クレーター国定公園」と同じくイエローストーンの火口を作ったホットスポットが残していった溶岩地帯。虐殺岩という恐ろしい名前がついたのは、スネーク戦争(1864〜68年)の時代に、幌馬車隊がインディアンに襲われて開拓者が殺される事件が続いたからでしょう。さらに行くとショショーニの滝とツインフォールズの町…訳せば「双子の滝」ですが、もう一つの滝は少し小さめのコルドロン・リン()

 ボナビル洪水で埋もれたのか、その後は奇岩や奇景も現れなくなってきます。アイダホの州都ボイジーは1860年代に金や銀の探鉱で栄えましたから、幌馬車の旅を途中下車して済みついた開拓者もいたことでしょう。オレゴントレイルは、引き続きスネーク川に沿ってオレゴン経由でワシントン州に入ります。

---------- ワシントン州・オレゴン州 ----------

 この地方で最初のインディアン戦争の発端となったホイットマン神父夫妻が虐殺されたワラワラで、スネーク川はコロンビア川に合流。オレゴントレイルは、さらにダレス砦から、現オレゴン州ポートランドのフォートバンクーバーへと続きました。