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2015年8月15日 (第110号)

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【戦後70年】 捕鯨大国アメリカ…インド洋回りでハワイ・日本

  ロシアは、アラスカ・千島より樺太・満州・朝鮮が好き

 戦後70年。誰もが戦争を繰り返したくはないのに、国会の安保法案の論議は「国民の理解が進まない」せいで、ちっとも先に進みません。でも、安保法案を理解するには、司法試験に受からなければ分からないほど難解な法解釈と、中国を刺激しないよう国民にも説明できない軍事・外交機密の壁があるのですから、「国民の理解が進まない」のは当たり前です。

 一度、日本が太平洋戦争に負けて反省し、不戦の誓いを立てた歴史を考えてみてはいかがでしょう。「アメリカ生活・e-百科」らしく、アメリカと太平洋を中心に戦争を振り返ってみようと思ったのですが、調べてみると国際情勢は今も昔も複雑で、結果的に中国と朝鮮半島やロシア(ソ連)の動きを詳述しなければならなくなってしまいました。

 誤解されないよう私自身の考えを申し述べておきますが、戦前の歴史は、日本ももちろんですが、米ロも帝国主義の加害者で、中国も一方的な被害者ではなかったことを物語っています。70年前に「富国強兵」から「平和と人権」に国是を180度変えた日本は奇跡の国で、他国はそこまで啓蒙されていません。違憲・合憲論争を離れ、世界の現状を客観的に見て、必要な自衛の備えをしておくのは重要なことだと思います。


(~1870年代@) 太平洋の捕鯨とハワイ


 アメリカが西海岸を手に入れたのは1840年代の後半ですが、パナマ運河ができたのは1914年、最初の大陸横断鉄道が開通したのも1869年。当時のアメリカ人にとって、太平洋はまだ世界のさいはての海でした。

 しかし、捕鯨業に限っていえば、太平洋は遠くてもかけがえのない最重要漁場でした。そもそも世界的に石油生産が本格化したのは1859年にペンシルバニアで油田が発見されてからの話で、その昔は、鯨がランプの灯油やロウソク・日用品の材料として欠かせず、欧米でも捕鯨が盛んだったのです。18世紀には大西洋で資源が枯渇し、アメリカの捕鯨船団が洋上採油方式を開発し太平洋に進出しました。

 船団は、カッターボートで追い込んで捕鯨し、肉は捨て採油した鯨油を大型母船の船内に保存します。薪水をハワイなどで補給し、いったん出向したら4年も航海を続ける例もありました。19世紀半ばに太平洋で操業していた捕鯨船はイギリスなど他国船も含め5~7百隻を数え、うちアメリカだけで年間1万頭のクジラを捕獲していました。1853年にペリーが日本に来航して幕府に開国を迫ったのも、1867年に北西ハワイ諸島のミッドウェー島が領有されたのも、アメリカが捕鯨船の給炭地として期待したからでした。

 ハワイでは、1820年に新島襄も所属していたキリスト教団体がハワイで伝道を始め、1842~54年には立憲君主制の下でアメリカ人が首相を務めました。封建的な土地所有が近代化されて、サトウキビのプランテーション農業が発展してアメリカ向けに輸出されました。


(~1870年代A) ロシアの外満州進出とアラスカ売却


 アメリカは1867年に財政難のロシアからアラスカを買収しましたが、当時はやっと南北戦争が終わり、次は西部開拓が本番という時代…太平洋進出は時期尚早で、議会には反対の声が高かったほどです。ロシアとしては、クリミア戦争で負けた相手のイギリスにアラスカを売ったら、カナダと陸続きの大英国領ができて隣り合わせになってしまいますから、アメリカに買ってもらう必要がありました。

Outer Manchuria

 ロシアは大損したようですが、その前に英仏と清が戦ったアロー戦争の調停役を買って出て、漁夫の利で清から現在のハバロフスクやウラジオストクを含む広大な外満州を獲得していました。アラスカくらい失ってもいいと太っ腹なところがあったようです。外満州の併合は、ロシアがさらに満州から朝鮮へと南下する足がかりとなり、ついには日本の安全を脅かすようになりました。

 1870年代のイギリスはインド統治など忙しく、ドイツとフランスも普仏戦争の後始末で、東アジアや太平洋に領土拡大の余裕はなかったようです。おかげで、日本は明治10年(1877年)の西南戦争で幕末以来の国内動乱を収束し、他方で周辺諸島(沖縄・千島・小笠原)の領有権を確定することができました。

 その後の明治政府には欧米列強と結んだ不平等条約の改正が悲願となりましたが、朝鮮に対しては、江華島事件(1876年…小規模な武力衝突)を経て、逆不平等条約を結ばせます。当時の朝鮮は清に従属して鎖国を続けており、フランス(1866年)やアメリカ(1871年)とも開国をめぐり衝突を起こしていました。1863~64年に日本で立て続けに起きた薩英戦争や長州の下関戦争を想起させます。

日本

アメリカ

その他

1853

ペリー艦隊来航

1846~48

オレゴン協定・米墨戦争

1840~42

清 アヘン戦争

1868

明治維新

1861~65

南北戦争

1851~64

太平天国の乱

1871~79

琉球処分(沖縄県設置)

1867

ミッドウェー島領有

1853~56

クリミア戦争

1875

小笠原領有を各国に通告

1867

ロシアからアラスカ購入

1856~60

清 アロー戦争

1875

ロシアと千島樺太交換条約

1869

大陸横断鉄道開通

1870~71

普仏戦争

1876

日朝修好条規

1882

米朝修好通商条約

1884・85

露朝密約事件

1891

硫黄島を小笠原に編入

1890

フロンティア消滅宣言

1884~85

仏 清仏戦争

1894~95

日清戦争(台湾獲得)

1898

米西戦争(フィリピン、グァム領有)

1884

ソロモン諸島領有

1899

南鳥島を小笠原に編入

1898

ハワイ併合

1898~99

英仏独露 清領租借

1900

北清事変(義和団事件)派兵

1899

ウェーク島・東サモア領有

1899

独 南洋諸島購入

1904~05

日露戦争(南樺太・三国干渉)

1905

ポーツマス条約(日露講和仲介)

1902

日英同盟 

1910

日韓併合

1914

パナマ運河開通

1911~12

孫文 辛亥革命

1914~18

第一次大戦(南洋諸島獲得)

1914~18

第一次世界大戦(西サモア獲得)

1917

ロシア革命

1931~32

満州事変(国際連盟脱退)

1929

大恐慌

1928

蒋介石 南京政府

1937~45

日中戦争

1937~

中華民国軍事支援(援蒋ルート)

1939~45

第二次大戦

1940・41

北部・南部仏印進駐

1937~41

ABCD包囲網

1940

日独伊三国同盟

1941~45

太平洋戦争

1941~45

太平洋戦争

1945

ソ連参戦

太平洋戦争開戦前の列強植民地 (⇒拡大)


(1880~1900年代) ロシアvs.日米英


朝鮮をねらう3人の釣人

 日本が、日清戦争と日露戦争に勝って列強の仲間入りを果たした時代です。二度の戦争は、有名な右の風刺画のように朝鮮をめぐる三つどもえの争いの中で起きました。

 日清戦争(1894~95年)で、日本は台湾に加え、南満州の遼東半島を得ることになりますが、ロシアと独仏の横やり(三国干渉)であきらめさせられます。

 ところが、ロシアはその見返りに(密約で)、清から東清鉄道の敷設権を手に入れていました。1898年には遼東半島の旅順と大連を租借し、東清鉄道の南満州支線の敷設権まで獲得しました。朝鮮でも、宮廷の反日勢力を通じ利権を蚕食していました。

 1900年には排外主義の義和団が北京の外国人居留区を包囲する事件(北清事変)が起きましたが、ロシアは救援のために派兵した兵力を引き揚げず、旅順に大要塞を築いて満州を勢力下に置きます。

 イギリスとアメリカはそれぞれ別の戦争に関わり大兵力を派兵できません。列強8ヶ国の救援軍をリードしたのは日本で、これが欧米に認められ不平等条約の改正が進む転機となりました。

 中央アジアでロシアと対立していたイギリスは、1902年に日英同盟を結びました。日露戦争(1904~05年)の講和も、アメリカの積極的な介入で成立し、日本は南樺太に加え、遼東半島の租借権と南満州鉄道(長春以南の東清鉄道南満州支線)を得ました。ロシアの極東進出を防ぐために、日本と米英の利害は完全に一致していたのです。日清・日露の戦勝を経て、1910年に日本は朝鮮を併合しました。

 この時代には、太平洋と中国・東南アジアで欧米列強の激しい植民地拡張競争が見られました。1898年に清はロシアに旅順・大連の租借を許しましたが、ほかに翌年にかけてイギリスが九龍と威海衛、ドイツが膠州湾、フランスが広州湾を租借しています。

 アメリカは、米西戦争の末に、スペインからフィリピンとグァムを手に入れています。イギリスは、ビルマ(現ミャンマー)を領有し、英領オーストラリアやニュージーランドに近いニューギニア南東部とメラネシアの島々に植民地を拡げました。

 フランスは、清仏戦争でインドシナ(現ベトナム・ラオス・カンボジア)を獲得し、太平洋ではニューへブリデス諸島を植民地に加えます。オランダ領東インドには、ニューギニア西部が編入されました。新参のドイツもニューギニア北東部とソロモン諸島を支配下に収め、スペインからはミクロネシアの島々を購入。サモアでアメリカと衝突し、東西で分割領有しました。