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2018年4月15日 (第140号)

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アメリカ生活・e-ニュース


管理人だより 今月号で、オランダ史(ベネルクス三国史)の連載も3回目です。もとはといえば北米史の寄り道で、早く本筋に戻りたいのですが、主人公(ベネルクス三国の領主)が次々と変わり、その都度新たな敵を見つけて戦ってしまうので、興味深い反面、正直もてあましています。

  今月は上手くいけば、八十年戦争が始まりオランダが事実上独立する17世紀初頭までを一気に書いて、いったんケリをつける計画だったのですが、主人公の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が、ハンガリーやボヘミア(チェコ)の争乱に巻き込まれる展開で、ストーリーは15世紀後半の50年しか進みませんでした。

  来月も、主人公が息子の神聖ローマ皇帝カール5世に代替わりし、スペイン王を兼ねイタリアを舞台にフランスと戦うので、最悪の場合はまた50年しか進まないかもしれません。

  ところどころ細部にこだわって書いているようなお目障りな部分もあるでしょうが、それは私が参照する諸資料に、日本語でも英語でも、自己流に勝手に想像して書いたフェイク歴史が少なからず交じっており、不自然なつながりを一つ一つチェックした結果です。信長が桶狭間の戦いに勝利した1560年から1600年の関ヶ原の戦いまでの40年を、外人が適当に調べて書いたら間違いだらけになることでしょうが、私は完璧ではなくとも、できるだけ想像を挟まず、真実に近いストーリーを選んで書きたいと心がけています。

  話は変わりますが、私たちが住むケンタッキー州レキシントンでは、日本語放送のテレビジャパンを視聴するには衛星放送以外に手段がありません。今月の3日に衛星放送のプロバイダーが、それまでのディッシュネットワークからディレクTVに切り替わり、煩雑な手続きに少し苦労しましたが、皆さんの中にも同じ経験をなさった方が多数おられるのではありませんか?

  ディレクTV(DirecTV)の専用リモコンはデザインがコンパクトで、慣れると便利そうです。今回は、皆さんに専用リモコンの便利な使い方をご紹介しようかと思ったのですが、まだ本人が習熟していないので、ちょっと先送りにします。


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季節の話題 害虫と殺虫剤・防虫剤 ★害獣対策 施肥(除草・除虫)と種まき ★芝刈り ★芝生の水撒き ★花を植える ★北米の花粉症 ★北米の日焼け止め ★プロム(高校卒業パーティ)と卒業式 ★竜巻(トルネード)街道

季節のe-レシピ ★銘菓"いわゆるダービーパイ"甘さ控えめ オーブン30分で素早くできる楽々チェリーパイ あら不思議、色が二段に分かれるグレープゼリー 中西部生まれのアメリカ菓子レモンバー 市販の生地を使ってお好みのシーフードピザ コショウ風味の甘しょう油だれドラムスティック 春菜クレソンとブタから揚げの和風サラダ


社 会

歴 史

 オランダ史B-1 女公の妻の死で、ハプスブルク家が低地諸国を相続

 中フランク王国復元を夢見たブルゴーニュ公シャルル

 15世紀後半にはルネサンスの三大発明と呼ばれる印刷術(製紙)・羅針盤(航海術・造船)・火薬(火縄銃・大砲)の技術や性能が向上し、宗教改革の前段ともいえる人文主義や近代科学の芽生え、新大陸の発見、陸海戦の戦術の革命など近世(16~18世紀)につながる社会変化が起きています。婚姻によって経済的に繁栄するフランドル(北ベルギー)を手に入れた仏ヴァロワ朝の支流が築いたブルゴーニュ公国は、オランダなど現ベネルクス3国地方を統一し、4代目のシャルル突進公の時代に英仏独と対等な国家に発展しました。その娘マリーが後の神聖ローマ(独伊)皇帝マクシミリアン1世に嫁し、その子フィリップ美公がスペイン王女と結婚したことが、ハプスブルク家の大帝国とフランスの対立という、西欧の近世(16~18世紀)初期の枠組みを決めました。全文を読む


社 会

歴 史

 オランダ史B-2 本拠ウィーンを何度も追われた弱いハプスブルク家

 事業家フッガー家にチロル銀山の採掘を許し財政改善

 神聖ローマ皇帝とはいっても、マクシミリアン1世の父の時代のオーストリアは、ハプスブルク3家の分割領有で、先帝が兼ねていたハンガリーとボヘミア(チェコ)の王位も失っていましたが、先帝の子の死でウィーン周辺のオーストリアは父のものになりました。しかし、マクシミリアンがブルゴーニュ公国のマリー女公と結婚し、フランドルの反乱や対仏戦争に直面することになった1477年には、隣国ハンガリーにウィーンを包囲され、息子のトラブルにはかまっていられない状況でした。マクシミリアンは南ドイツの諸紛争を収めて残りのオーストリアを大叔父から購入。チロル銀山の開発を事業家のフッガー家に任せ、採掘料でハプスブルク家の財政を改善。満を持してハンガリーを撃退する一方で、フランドルに取って返しフランスに一部の領土を返還させました。全文を読む


社 会

歴 史

 オランダ史B-3 16世紀前半は少し平和なアントワープ黄金時代

 外国商人や亡命新教徒・ユダヤ人が育てた国際都市

 フランドル経済の要のブルッヘでは、1480年頃から土砂の堆積により港湾機能が危うくなってきており、マクシミリアンは、新たにアントワープを中心に産業育成と貿易振興に取り組みました。フランドルの反乱が鎮圧されてからは、外国商館がブルッヘからアントワープへと移転を始め、1501年に初めてのポルトガル船がコショーやシナモンなどの香辛料などを積んで到来しました。北イタリアのベネチアやジェノバの経済は、各地に赴く地元商人の力で維持されていましたが、アントワープの繁栄は世界各地からやって来る商人たちによって支えられた結果、コスモポリタン的な文化の多様性が生まれ、出版業が盛んになりました。全文を読む