現代ポップのルーツ


 ポップ・ミュージックは、1950年代にアメリカのテネシー州で生まれたといっても過言ではないでしょう。それを象徴するスターがエルビス・プレスリーで、60年代にイギリスにビートルズが登場してからは世界中の若者が共有される音楽となっていきました。

 当時のテネシーは、「東部」でフィドル(バイオリン)やバンジョーなどをバックに鼻声で歌う 「ブルーグラス」風カントリーミュージックのスタイルが完成。

 「西部」のメンフィスでは、新楽器エレキギターを使いこなすブルースミュージシャンの一群により「R&B(リズム&ブルース)」や「ロックンロール」が誕生。

 「中部」のナッシュビルには新進音楽プロデューサーが集結して、カントリーやウェスタンをベースに都会的な白人系サウンドを創造。周辺で、黒人系サウンドと融合したロカビリーも派生しました。

 以下に、それぞれの音楽の流れを説明しますが、音楽サンプルはWikipediaから転載したものです。


スコットランド系アイルランド人


 白人の中で現代ポップの創造に最大の貢献をしたのは、北アイルランドからやってきたスコッツアイリッシュ(Scots-Irish)またはスコッチアイリッシュ(Scotch-Irish)などと呼ばれるプロテスタントの移民です。主に、独立戦争が起きた18世紀にやってきました。

 アメリカでドイツ系に次いで二番目に多いアイルランド系アメリカ人の大半は、19世紀になってから飢饉を逃れてやってきたカトリック信者の末裔です(⇒社会と歴史・e-百科「人種と移民問題…アイルランドとイギリスの歴史」)。

 プロテスタントのアイルランド移民は一足早くアメリカにやって来ていたものの、沿岸部はイギリス(イングランド)人の手で17世紀のうちに開拓されつくしており、山深いペンシルバニアやアパラチア山脈のシェナンドーア渓谷からグレートワゴンロード(幌馬車の道)を抜けて南北カロライナの「奥地」に入植して行きました。

 アイルランド人もスコットランド人も、ケルト(Celtic)系の民族です。アイルランドはカトリックの国でしたが、17世紀初めにイギリス(イングランド)に侵略され、北アイルランドには南部スコットランドや北部イングランドから多数のプロテスタントが移住しました。しかし、18世紀初めの飢饉で、再び新天地を目指しアメリカに渡った人たちがいたのです。

 スコットランド系のアイルランド人がアメリカに持ち込んだ音楽は、2種類に大別されます。一つは、ケルト民族のダンス音楽で、もう一つは、日本の唱歌にも多く私たちにも馴染みの深いスコットランド民謡(フォークソング)です。

ケルト系民族の居住地


ケルト民族のダンス ⇒ アパラチアのカントリー音楽


Martin Wynne's/Reels - The Bothy Band 1976

 ケルト民族のフォークダンス「ジル(Jig)」の伴奏には、フィドル(バイオリン)が付き物です。バグパイプやアコーディオン、縦笛、チェロ、打楽器などを加えてにぎやかに演奏されます。

Dueling Dance Taps and Drum: the Gothard Sisters

 ダンスは、バレーシューズのような軽い靴を履いて素早くタップを踏むのが特徴。

 もとは16世紀にイギリス(イングランド)で生まれヨーロッパ全土で流行ったダンスですが、17世紀にアイルランドやスコットランドに伝わり、民族文化となりました。

 スコットランド系アイルランド人が奥地に移民してきた頃には、バージニア植民地の沿岸部では黒人奴隷を使ってタバコや穀物のプランテーション農業が盛んになっていました。ケルト民族のジグは、伴奏楽器にアフリカ伝来のバンジョーとマンドリンやベースを加えて、後に「オールドタイム」または(注)「ヒルビリー」と呼ばれる音楽になっていきました。

1930年代の東部テネシー

ウェストバージニア

(注) ヒルビリー(Hillbilly)とは、イギリスの名誉革命に伴って起きたカトリック系アイルランド人との戦いで、プロテスタントのウィリアム3世(ビリー)を支えて戦ったスコットランド系アイルランド人をビリーボーイズと呼んだ故事に由来するといわれていますが、アパラチア山脈一帯で暮らす偏屈な白人を指す蔑称に近い言葉です。アメリカ経済の発展の中で、炭鉱や林業に依存するこの地域だけは、ポツンと取り残されてきました。1930年代のテネシー川開発計画のおかげで東部テネシーは豊かになりましたが、イースタンケンタッキーやウェストバージニアの山間は未だに全米で最貧地域の一つです。

 18世紀後半には、こうした人々は「オールドタイム」の音楽を携え、新しい西部の土地を開拓しようと幌馬車でアパラチア山脈を越えてケンタッキーやテネシーに向かったのです。


Big Eyed Rabbit (Old Time)

   by Matokie Slaughter,Clawhammer Banjo

The Old Grey Mare (Old Time)

   by Bascam Lamar Lunsford


Grand Ole Opri

 アメリカでラジオ商業放送が始まったのは1920年ですが、中部テネシーのナッシュビルで、カントリーミュージック・ショーの公開番組「グランド・オール・オプリ」の生放送が始まったのは、そのわずか5年後のことでした。「オール・オプリ」は「オールド・オペラ」の田舎なまりです。

 1938年にケンタッキー出身のビル・モンローが結成した「ブルーグラス・ボーイズ」が次々とヒットを飛ばして「グランド・オール・オプリ」のスターになります。「オールドタイム」はジャズのようにメロディを担当する楽器が次々と交替する技法を取り入れ、洗練された「ブルーグラス・ミュージック」という音楽のジャンルに進化しました。

'Kentucky Waltz' by Emmylou Harris & Bill Monroe

Songs of Appalachia (Knoxville News Sentinel)

スコットランドのバラード ⇒ カウボーイのウェスタン音楽


Scarborough, North Yorkshire, England

 蛍の光、アニーローリー、故郷の空、マイボニー、麦畑(夕空晴れて)…イギリス人やスコットランド系のアイルランド移民がアメリカに持ち込んだスコットランドや北部イングランドのバラードの中には、私たち日本人に馴染み深い歌がたくさんあります。

 バラードとは、本来は物語のこと。その物語や童話を語り聞かせてあげる歌が主客転倒して、バラードといえばロマンチックな歌をいうようになってしまいました。もともとバラードには、恋愛を題材にした歌も多いのです。

 サンプル曲は、1967年公開の映画「卒業」の挿入歌としてサイモンとガーファンクルが歌い有名になったイングランド北東部スカボローの市場(スカボローフェア)を舞台にした失恋の歌です。


Scarborough Fair (Ballad, North England)

   Soprano solo of a few verses



 こうしたバラードがアメリカナイズされ、19世紀後半に西部でカウボーイに歌われるようになってから「ウェスタン」と命名されましたが、本当は南北戦争前に北部で誕生していた古い音楽ジャンルです。

 元祖ウェスタンは、1844年に女性作曲家サリバンが発表した「青きジャニータ」。ペンシルバニア州のアパラチア山脈の山間を流れるサスケハナ川の支流を歌っています。

 「レッドリバー・バレー(赤い河の谷間)」は1939年公開の映画「怒りの葡萄」の挿入歌ですから、主人公一家が住んでいたオクラホマと南のテキサスの州境を流れる大河レッドリバーの歌と誤解してしまいますが、実はミネソタとノースダコタの州境を北に向かって流れ、カナダのウィニペグ湖に注ぐ北のレッドリバーの歌。1870年には既にカナダのマニトバ州で歌われていたことが確認されています。

'Blue Juniata' by The Sons of the Pioneers

 'Red River Valley' by Marty Robbins


 ハーモニカやギター一つで伴奏できるウェスタンは、カウボーイや開拓者とともにフロンティアに拡がって行きます。メキシコ音楽の要素も加わり、ハリウッドの西部劇映画とともに1930〜40年代に一世を風靡しました。サンプル曲は、「峠のわが家」と、ガンマンがメキシコ娘と恋に落ちる「エルパソ」です。


Home on the Range (Western)

   by Raiford Penitentiary, 1939

El Paso (Western)

   by Marty Robbins, 1959


 ナッシュビルの「グランド・オール・オプリ」では、ブルーグラス歌手ビル・モンローの「ケンタッキーワルツ」に刺激されて、1947年にウェスタン歌手のピー・ウィー・キングが「テネシーワルツ」を作曲します。「テネシーワルツ」は、1950年にパティ・ページが、あらためて都会的な感覚で歌い大ヒットしました。

Pee Wee King & Golden West Cowboys

 'The Tennessee Waltz' by Patti Page, 1950


 ナッシュビルのRCAやコロンビアレコードには、チェット・アトキンスをはじめとする優秀な音楽プロデューサーが続々と集まってきます。1950年後半から60年代にかけては「ナッシュビルサウンド」が白人系ポップスをリードし、ナッシュビルは(売上比較でもニューヨークに次ぐ)ミュージックシティとなったのです。

'Three Bells' by The Browns, 1959

ブラウンズ 「谷間に三つの鐘がなる」

  'The End Of The World' by Skeeter Davis, 1963

スキーター・デイビス 「この世の果てまで」


黒人霊歌 ⇒ ブルース ⇒ ロック


 17世紀にアフリカから売られてきた黒人奴隷は、バージニア植民地でキリスト教に教化され、白人の賛美歌(聖歌)に出会いました。


God Rest You Merry, Gentlemen (Christmas Carol)

   Edison Diamond Disc


 アフリカ伝来のワークソングと賛美歌が融合して黒人霊歌(スピリチャル)が生まれます。黒人霊歌の歌詞には、奴隷の脱走を助けるヒントが隠されていたとも言われています。

 サンプル曲の「進めやモーゼ」は、ユダヤ人がエジプトから脱出する物語を借りて、白人支配から抜け出す願いを歌っています。「ゴスペル・トレイン」は、地下鉄道と呼ばれる逃亡ルートで乗り込む列車。ほかに「ヒシャクを頼りに(Follow the Drinkin' Gourd)」という歌も有名ですが、北斗七星や北極星を頼りに北に進み、オハイオ川を越えて奴隷の自由州に逃げ込みなさいという意味です。

(注)ゴスペルも黒人霊歌と同様に神を讃える歌ですが、ゴスペルは、20世紀初頭に霊的体験を尊重するペンテコステ派が誕生してから信仰心を高揚させるために次々に作られた比較的新しい時代の歌です。


Go Down Moses (Spiritual)

   by Les Petits Chanteurs de Montigny

Gospel Train (Spiritual)

   by The United States Navy Band


クラークスデールの駅舎(現デルタブルース博物館)

 1793年にホイットニーが自動綿繰り機を発明すると、綿花のプランテーション農業が急速に発展。黒人奴隷と黒人霊歌も、それにつれて南部一帯に拡がっていきました。

 …それから一世紀。ブルースは、メンフィス南方のミシシッピー・デルタと呼ばれる地方で、1903年に「発見」されました。ミシシッピー川とヤズー川に囲まれ、中小河川が縦横に走る貧しい綿花栽培地帯です。

 南北戦争の結果で名ばかりの奴隷解放は実現したものの、人種差別はむしろ公然化して強まり、大多数の黒人が小作農となり低賃金労働を強いられていました。

 ブルーノートという音階、白人の音楽にはなかったリズムやA-A-Bのように四小節のメロディを二度繰り返し別の四小節のメロディでしめくくるのがブルースの原形で、その後はジャズ化していったブルースと区別して「デルタ・ブルース」と呼ばれています。

 楽器は、普通のギターもしくは四角い箱のシガーボックスギターやスチールギター、場合によってハーモニカが加わるくらいでした。残念ながら、当時のブルースは録音されて残ってはいません。代わりに1930年代に活躍した「デルタ・ブルース歌手の王」ロバート・ジョンソンの演奏を聞いてください。


Traveling Riverside Blues (Delta Blues)

   by Robert Johnson

Cross Road Blues (Delta Blues)

   by Robert Johnson


Beale Street

  ブルースを「発見」したのは、ミシシッピー州クラークスデールにバンドの指揮者として赴任したW.C.ハンディでした。ハンディのバンドは1909年にメンフィスに移り、ダウンタウンのビールストリートで「メンフィス・ブルース」や「セントルイス・ブルース」などの名曲をレコーディングしたのです。

 「メンフィス・ブルース」は市長選挙の応援歌でした。ハンディのブルースには、当時、セントルイスやニューオリンズの歓楽街で流行していたラグタイムやハンディの前職のマーチングバンドのスタイルが取り入れています。


The Wagon (Ragtime)

   by Ben Harney, 1925


'Memphis' by W C Handy and his Orchestra

  'St. Louis Blues' by W C Handy and his Orchestra

 アメリカの経済と文化が花開いた「狂騒の20年代(Rolling Twenties)」には、ルイ・アームストロングの共演ボーカリストとしても有名な「ブルースの女帝」ベッシー・スミスが、「セントルイス・ブルース」をけだるい解釈で歌い、ジャズとブルースの垣根も低くなっていきます。

 一方、メンフィスのビールストリートには、1940年代にエレキギターが普及し始め、ほとんどロックと変わらない演奏をするミュージシャンが登場してきました。ベースギターとドラムスさえ加われば、もう事実上のロック・バンドです。


Bessie Smith in the movie ' St. Louis Blues' (1929)

 'Kissing In The Dark' by Memphis Minnie


プレスリーの生家

 メンフィスのラジオ局でDJをしていたB.B.キングの音楽には、「リズム&ブルース(R&B)」というニュージャンルが命名されました。ロックと明確に区別するのは困難ですが、R&Bは、より黒人的な歌唱で、さらにソウル・ミュージックに発展していきます。

 スコットランド系アイルランド人の移民の末裔エルビス・プレスリーは、メンフィス・デルタからわずか100qのミシシッピー州トゥペロで生まれました。子供の頃からブルースを聞いて育ち、ロカビリー(ロック+ヒルビリー)で黒人系と白人系のアメリカ音楽を一体化する立役者となったのです。


BB King Movie - The Life of Riley

 'Jailhouse Rock’ by Elvis Presley, 1957