アメリカの 「気候と自然」・e-ガイド(印刷ページ

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熱波と干ばつ・山火事

★渇水と給水制限 ★フーバーダムとラスベガス ★サンタアナ風とカリフォルニア森林火災

★2012年夏の熱波とデレーチョ ★ダストボウル再来の懸念


渇水と給水制限


全米の干ばつ最新状況 (随時更新⇒拡大)

異常乾燥 干ばつ ひどい さらにひどい まれ

 中西部や南部では、2010年から毎年のように干ばつが起きています。アメリカの穀倉地帯で干ばつが起きると、世界中で、穀物と穀物を食べて育つ家畜の肉や卵や牛乳が値上がりして困ります。

 しかし、干ばつだけなら、日常生活にあまり影響がありません。日本では、個々の河川の貯水量が少なく干ばつには給水制限が付き物ですが、アメリカの湖や河川は大きく農業用水と飲料水は原則「別腹」。州や自治体の水道行政がしっかりしていれば、給水車に並んで水を汲むようなみじめな思いをしなくても大丈夫です。

 敢えて例外を探してみると、2007年秋のアメリカ南東部の干ばつで、テネシー州オームでは村の泉が枯れ、1日に3時間給水という滅多にない節水を強いられました。

 アトランタ市民が、水源レイニア湖の減り行く水位を毎日ハラハラして見守り、チャタフーチー川下流のアラバマ州やフロリダ州と上流ジョージア州の間で水争いが起きましたのもこの時です。

 私たちが住んでいるケンタッキー州レキシントンを例に取れば、これまで最も深刻な水不足でも、芝の水遣りや洗車が1日おきに制限される程度で済んでいます。ただし、一度庭の芝生を枯らしてしまうと後は雑草だらけで手がつけられなってしまいますから、水遣り制限が始まる前に、芝生をしっかり手入れしておきましょう。干ばつの深刻さは、上の地図(ネブラスカ大学リンカーン校全米干ばつ対策センターと農務省、海洋大気局の共同制作)でチェックできます。


フーバーダムとラスベガス


 アメリカ南西部の乾燥地帯は、潜在的に大きな不安を抱えています。ここでは、コロラド川が唯一の大水源。二つの巨大ダム湖の水量が恒常的に不足する状況が続いていて、いつか深刻な事態に陥る可能性があります。

Las Vegas

 ミード湖は、1936年に完成したフーバーダムにせき止められてできた人口湖。ラスベガス市民の大事な水がめですが、2010年夏には、一時、満水時のわずか4割という危機的水量に減りました。

 上流には有名なグランドキャニオンがあり、さらに上流に巨大ダム湖がもう一つ。二つの湖岸の崖にには、水量が減ったせいで、バスタブ・リング(浴槽の汚れの輪)と呼ばれる昔の水位の跡を示す線がくっきりと残っています。

 ラスベガス下流のハバス湖からは、セントラルアリゾナプロジェクト送水管でフェニックスとツーソン向けに、コロラド川送水管でロサンゼルス向けに水が供給されています。


サンタアナ風とカリフォルニア森林火災


 山火事も、干ばつに伴う自然災害の一つです。アメリカの山火事発生件数は横ばいですが、焼失面積は25年前に比べると4倍。地球温暖化との関連が懸念されています。

 冬に西部と南部が少雨になりやすいラニーニャの年や、その翌年に、焼失面積が増える傾向があるようです。

 中でも、南カリフォルニアは大規模な山火事が起こりやすい地域で、ロサンゼルスやサンディエゴなど大都市の住宅地が山すその森の間際まで拡がっていますから、その度に多くの人が家を失っています。

Santa Ana winds

 秋から初春にかけて山火事を引き起こす犯人は「サンタアナ風」です。ネバダ州からユタ・オレゴン両州の一部に広がるグレートベースン(大盆地)の砂漠高原地帯に強い高気圧が発生。逆時計回りで南カリフォルニアに吹きつける強風が、サンタアナの山並みを越える際にフェーン現象で乾いた熱風に変わるのです。

  南カリフォルニア 

200710月加州森林火災(⇒拡大)

200710月サンディエゴの避難民

200811月加州森林火災(⇒拡大)

 2007〜08年は、2年連続で南カリフォルニア都市圏が「サンタアナ風」による山火事に襲われ、夏には、干ばつで、北部と中部が史上最悪の山火事に襲われた最悪の年でした。

≪2007年10月加州森林火災≫

 南カリフォルニアの大都市圏を取り巻くように山火事が発生、10月20日から11月9日まで19日間燃え続けました。原因は、強風による送電線の断線から交通事故や子どもの失火、放火まで様々ですが、風速40mのサンタアナ風が火勢をあおったのです。

 避難民はサンディエゴ周辺だけで50万人。一時はハリケーンカトリーナのニューオリンズ襲来時に匹敵する総数百万人が家を捨てて逃げ、少なくとも1500軒が全焼し、2000q2の地域が焼失しました。

 消火には6千人を超える消防士が当り、連邦政府軍と州兵、さらに60人のメキシコ消防士がこれを加勢しましたが、ついには非暴力犯罪で服役中の囚人3千人まで動員されたというのですから正に非常事態でした。死者は9人、61名の消防士を含む85人が負傷、放火容疑者1人が銃撃戦の末に警官により射殺されています。

≪2008年11月加州森林火災≫

 焼失面積は175q2。2007〜08年のカリフォルニア森林火災の中では小規模でしたが、ロサンゼルスやオレンジカウンティの日常生活圏が燃えたので、周辺の日本人の皆さんは、さぞこわかったことでしょう。

  北・中部カリフォルニア

'08年夏加州森林火災(⇒拡大)

 11月13日、最初の火事はスピルバーグやオプラ・ウィンフリーなどのセレブが住むモンテシトとサンタバーバラの一角で若者のキャンプファイアの火の不始末が原因で起き、210軒の大邸宅が焼失しました。翌日、火はロサンゼルス市北部のシルマー地区に飛び火して、今度は480軒のモービルホーム(低価格の簡易住宅)の住人が焼け出されました。

 そして、3日目の火事はついに中流市民が暮らすオレンジカウンティのリバーサイド・フリーウェー(州道91号線)周辺で発生。その後10日間で314軒の住宅を焼失したのです。

地図で被害状況の説明を受ける

シュワルツネッガー知事

≪2008年夏加州森林火災≫

 カリフォルニアの少雨は3年目、特にこの年の春の干ばつは観測史上でも最悪でした。乾燥し切った森林や潅木林で失火による山火事は5月22日に始まり、6月21〜22日の週末暴風に伴う落雷を引き金に北部と中部のカリフォルニア各地で2千件以上の火災が一気に発生しました。

 とにかく火災現場が広範囲で多すぎます。連邦政府軍と州兵に加えギリシャ、チリ、アルゼンチン、ブラジル、オーストラリア、カナダ、メキシコ、ニュージーランドから国際支援も加え、総勢2万人以上が消火に当たりましたが、8月29日までに6300q2を焼き尽くし、米本土では近年最悪の山火事になってしまいました。

 火災が大都市周辺に広がらなかったのは不幸中の幸いでしたが、セントラルバレー一帯とベイエリアは有害な煙に包まれ、内陸では気温も40℃台半ばまで上昇…ナパバレー近くのベリエッサ湖では一時52℃を記録しました。


2012年夏の熱波とデレーチョ


イリノイ州のトウモロコシ農家

File:Heat Wave.jpg

 熱波や干ばつには、大きさや厳しさを比べる基準がなく順位をつけるのは困難ですが、2012年6月の熱波は、ノースウェスト地方を除くアメリカ本土の広い地域とカナダの一部で観測史上の最高気温を記録しており、1930年代以来の熱波、1950年代以来の干ばつと言っていいでしょう。

 熱波は、北米の真ん中に居座った巨大な高気圧が、帽子のように熱気を封じ込めて発生しました。対流も起きにくく、雨をもたらす積乱雲が形成されることもありませんでした。

 私たちが住んでいるケンタッキー州レキシントンでも、毎日の気温が華氏百度(38℃)を超えるのは当たり前、時に40℃を超えるような日々が1週間以上続き、私も外出を控えました。日本の夏がうだるような暑さなら、北米の熱波はカラカラに乾いたサウナの室内のような暑さで、気のせいか、わが家の木製のテラスからきなくさい臭いが漂ってくるようにも感じられました。

≪コロラドの森林火災≫

2012 Colorado wildfires

 冬に平年比13%と少ない降水量を記録したコロラド州では12ヶ所で山火事が起こり、住宅600棟超と819q2焼くコロラド史上最悪の山火事になりました。6月だけで、少なくとも3万4〜5千人が避難したそうです。

≪コーンベルトの干ばつ≫

 干ばつは、イリノイ・ミズーリ・インディアナ・オハイオなどコーンベルトを直撃し、例年なら8フィート(2.4m)に育つトウモロコシが背丈半分で成長を止めてしまいました。トウモロコシの30%が「不良」または「極めて不良」、収量がほとんど見込めない農家も少なくありません。トウモロコシと産地が重なる大豆も同様の凶作で、最終的に36州が一級自然災害を宣言。穀物相場を押し上げました。

≪中西部‐中部大西洋岸デレーチョ≫

典型的なデレーチョの雲

 月末近くに、デレーチョ(Derecho)と呼ばれる嵐が南部や中西部の各地を襲い、中でも6月29日のデレーチョはイリノイからバージニアまで時速60マイル(約100q)で駆け抜け、22名の死者と340万戸の停電をもたらしました。

デレーチョの1時間ごとのレーダー映像(⇒拡大)

 第二波が、私たちが住むケンタッキー州レキシントンを襲ったのは翌日の夜。無風に近い状態から、熱風が雨を伴わずに急に吹きつけてきました。下降気流の一種で、夜起きやすいヒートバーストという珍しい気象現象のようですが、実に不気味です。

 しばらくすると、今度は態度をあらためたように大人しい雨が降り出し、気温も下がって文字通りの干天の慈雨となりました。翌朝、近所の2軒の庭で、直径20cmの木が幹から折れて倒れているのを発見しました。

 正直な話、これまでデレーチョという言葉は聞いたこともなく、当初はいつもの雷雨スペシャル程度の認識でしたが、デレーチョとはスペイン語で「ストレート」…雷雨のセル(積乱雲の塊)が一直線に帯状に伸び、各地に強烈なダウンバースト(下降噴流)を起こしながら高速で移動します。

 風速50ノット(26m/秒)以上で全長400q以上の雷雨が最低6時間続くと、デレーチョと認定されます。レキシントンは最も被害が少なかった方で、オハイオのコロンバス(YouTube動画)など読者の皆さんの中にも、もっと怖い思いをなさった方が大勢おられるはずです。


ダストボウル再来の懸念


File:Dust-storm-Texas-1935.png

ダストボウルと「怒りの葡萄」

 大恐慌の最中の1931年に、ダストボウルと呼ばれる砂嵐がグレートプレーンズの南部で頻繁に生まれ、砂塵はしばしばニューヨークなど東部の都市に届くほどになりました。干ばつに加え、未熟な農法が土質の劣化を招いたのが原因。1934年と1936年には熱波が全米を襲い、干ばつとダストボウルもピークに達しました。各地で40℃を超える気温を記録しています。

オガララ帯水層

 ノーベル賞受賞作家スタインベックの名作「怒りの葡萄」は、オクラホマ農民がダストボウルで耕作不能となった土地を差し押さえられ、生活の糧を求めてルート66をカリフォルニアに向かう物語です。1940年に、ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演で映画化されました。

 ダストボウル発生源のオクラホマやカンザスは、その後、灌漑と農業の機械化により「アメリカのパンかご」として知られる小麦生産地帯として復活しましたが、それも地下にオガララ帯水層と呼ばれる大水脈が潜んでいたからです。

Center Pivot Irrigation

Crop circles north of Umatilla, Oregon, USA.jpg

 1948年にはセンターピボットという地下水に依存する大規模な灌漑農法が発明され、乾燥地帯では、円形に仕切られた農地が飛行機から見下ろせる時代になりました。

 さて、そのオガララ帯水層も永遠ではありません。南西端の方から枯れ始めています。

 一方、2012年にコロラドで山火事が起きたように、この地域では毎年のように冬の少雨が続き、干ばつで小麦生産も打撃を受けています。2012年夏の熱波を経験し、大恐慌と現在の世界不況を重ねて連想し、1930年代のダストボウルの再来を怖れる人々が増えています。