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2013年9月15日(第87号)


英仏に分割された旧オスマントルコ領の後遺症

 シリア内戦…民主化運動が宗派抗争に変質?

ダマスカス市内勢力図と化学兵器で攻撃された場所 (⇒拡大)

 東日本大震災から2年半が経ちましたが、シリアで「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が本格化したのも同じ2011年3月ですから、シリア内戦も既に2年半続いているわけで、この間に、約2100万人のシリア人口のうち、10万人以上が死亡、190万人以上が難民となって国外に逃れ、さらに425万人以上が国内で避難生活を送っているといわれています。

 その中で、8月21日に首都ダマスカスの反政府軍の支配地域で政府軍が化学兵器を使い、(アメリカ政府の初期情報で)426人の子供を含む1429人が死亡する事件が起こりました。皆さんも、日米マスコミの報道で、次のニュース映像はごらんになったかもしれませんが、YouTubeには残酷過ぎて「閲覧注意」の警告付きの動画(@/A/B/C)も数多く投稿されています。

 その後、事態は急展開。米英仏3ヶ国がシリアのアサド政権への攻撃を準備して国際社会の賛同取り付けに努めますが…うちイギリスは議会の反対で脱落…アメリカも議会の同意取り付けでモタモタ…フランスだけは強硬…ロシアが化学兵器廃棄を呼びかけ…シリアが同意…米ロが合意…の経緯はご存じですね。


シリア周辺の近代史


 日本でもシリア情勢は詳しく伝えられていますが、新たな戦争に巻き込まれるかもしれないアメリカと比べればどこか「対岸の火事」。少し歴史をさかのぼって解説してもらわないと、なぜ今内戦が起きているのかさっぱり分かりません。

 中東の近代史は「社会と歴史・e-百科」人種と移民問題のページのユダヤ人とパレスチナ問題の記事にもありますが、今から100年前…第一次大戦までは、シリアとレバノン、イラクとヨルダンやイスラエルなどがオスマントルコの領土だったことを知らないと理解できません。日本は当時「大正」、日露戦争からほぼ10年が経った頃です。

 落日のオスマントルコはドイツ側について敗れ、旧領土は民族や宗派別の住民分布におかまいなく、英仏2ヶ国の委任統治領に分割されました。

 自動車や飛行機の普及で石油需要が急速に伸びていた時代で、第一次世界大戦は、英仏ロとドイツの中東石油利権争いの側面もあったのです。

 それから約25年。第二次世界大戦が終わると、世界中で旧植民地の国々が一斉に独立します。中東では、英仏が影響力を残す王国でも次々にクーデターが起こり、イスラエルと敵対する汎アラブ民族主義の親ソ連政権が誕生しました。

 イラクの旧フサイン政権もそうでしたが、「アラブの春」で政権が転覆したチュニジアやエジプト、リビア、イエメンや、シリアも、こうした「名ばかり民主主義」の国々でした。独裁政権の下で、民衆の不満が、長い間、封じ込められてきました。


スンニ派とシーア派


 しかし、内戦が長引くにつれ、シリアでは民主化運動が、イスラム教の宗派スンニ派とシーア派の対立にすり替わってきたようです。

 イラクで少数派のスンニ派フサイン政権が権力を握っていたように、シリアのアサド政権も少数派のシーア派系(アラウィ派)です。そもそも第一次世界大戦後に英仏が住民の意思におかまいなく国境を定めたため、一宗派が権力を独占するいびつな構造ができてしまいました。

 地中海沿岸に住むアラウィ派の人々は、民主化が進まなくても、政府軍が勝って内戦が早く終る方がマシと考えるようになっています。反政府軍は、国民の大半を占めるスンニ派の居住地域を支配していて、サウジアラビアなどスンニ派のアラブ穏健派諸国が肩入れしています。政府軍は、同じシーア派のイランが支援しています。

シリアの宗派分布図

シリア内戦勢力分布

複数宗派混在スンニ派アラウィ派

クルド人キリスト教 (⇒拡大)

交戦地域政府軍支配区反政府軍支配区

クルド人支配区 (⇒拡大)