海外赴任、留学、国際結婚…北米に住む日本人の皆さんのアメリカ生活をゆたかにするメールマガジンです。四季折々のタイムリーな話題や各地のお買物や観光の情報をお届けします。検索ボタンで姉妹サイト「アメリカ生活・e-百科」のワード検索もできます。

発行: KJBusiness Consulting, LLC  電話: (859)223-6449 Eメール: info@jlifeus.com  HP: www.jlifeus.com

2015年1月15日(第103号)


北米の火山A 環太平洋火山帯 カスケード山脈

 1980年大噴火でセントへレンズ山が山体崩壊

 日本には常時観測の火山が48あるそうですが、アメリカには観測対象だけで179の火山があります。

 といっても、数でいえば大半がアラスカとその先端のアリューシャン列島、ハワイとその他の太平洋諸島で、アメリカ本土の常時観測火山は24の山や地域…そのうち14地域が北西部を太平洋岸に並行して走るカスケード山脈、9地域がシエラネバダ山脈などカリフォルニア州の中南部にあり、最後の一つが内陸ワイオミング州のイエローストーン国立公園という内訳です。

アメリカ本土の常時観測火山とUSGS(米国地質調査所)非指定火山

及びカナダ・メキシコの一部の火山(は現在も頻繁に活動中)

をクリックすると、拡大地図で火山の画像や動画をごらんになれます。

 カナダでは、西暦1700年頃にアラスカ州側の米国境付近で噴火し、北米原住民2千人が死亡したと推定されていますが、これが伝えられている唯一の火山爆発。カスケード山脈でも、カナダ領の火山に、さしせまった危険はないと考えられています。

 反対に、メキシコでは、南部を東西に横切る火山帯で活発な火山活動が続いており、その都度、大きな被害に見舞われています。


カスケード山脈の火山群


 西海岸の火山は日本の火山と同じく、海洋プレートが大陸プレートに沈み込む場所でマグマが噴出してできたものです。中でも要注意のカスケード山脈の火山活動は50万年前に始まり、直近の過去4千年は、100年に2回の割合で噴火を繰り返しています。20世紀中の噴火も、1915年のラッセン山と1980年のセントへレンズ山の2回でした。

 左の図をごらんください。

 カスケード山脈の下に沈み込む海洋プレートは、巨大な太平洋プレートの一部ではありません。北西部は、300マイル(500km)沖合の海嶺で新しい地殻が生まれ、東進してすぐに大陸に潜り込む複雑な地下構造。地震にも油断できません。

 最近では2001年にシアトル沖のピュージェット湾を震源にM6.8の地震が起きていますが、西暦1700年には推定マグニチュード8.7~9.2の地震が発生し、その津波が日本に届いた記録もあります。

 1980年に大噴火を起こしたセントへレンズ山は、オレゴン州ポートランドの中心部から約50マイル(80km)しか離れていません。火山爆発指数で富士山の宝永噴火と同じ火山爆発指数(VEI)5の大噴火でした。

 カスケード山脈の火山には、ほかにワシントン州シアトル中心部から60マイル(100km)のレーニア山やカナダのバンクーバー中心部から70マイル(110km)のベーカー山があります。日本人にも馴染みの深い地域で、決して他人事ではありません。セントへレンズ山の大噴火について、35年前の記録を掘り起こしてみましょう。


山体崩壊・火砕流・巨大水蒸気爆発


直径64q高さ24qの噴煙

 1980年5月18日の噴火のすごさは、右のキノコ雲の写真でも、下のビフォア―アフターの写真でも、ひと目でお分かりになるでしょう。「アメリカ富士」と呼ばれていた美しいコニーデ型の火山が10秒足らずで山体崩壊、続く大爆発で山頂が吹き飛び、阿蘇山のような荒々しいカルデラがポッカリと口を開けました。

1980年5月17日(大噴火前日)

標高2950m

1982年5月19日(2年後)

標高2550m

 噴火の様子は、あらためて動画でもごらんください。正に目を疑いたくなるほどで、有史以来最大といわれる土砂崩れ(山体崩壊)の映像もあります。

 セントへレンズ山は1831~57年に小規模の噴火を繰り返して以来、それまで123年にわたって大人しくしていました。最初の異変は3月20日のM4.2の地震。続く27日には水蒸気爆発が始まり、4月末には山腹の膨張の兆候が明らかになってきていました。

 5月18日(日)午前8時2分17秒…M5.1の地震が起きてから、10秒も経たないうちに 2.9立方キロメートルの土砂が山頂から崩れ落ち、時速200km前後のスピードでコロンビア川支流を下って遠くは24km先に到達、深くは180mの渓谷を埋めて64平方キロメートルの土地を一気に覆います。

 土砂崩れでむき出しになったマグマは続く数秒で噴火を始め、初速350q/時の火砕流が先を行く土砂を追いかけ、追い越して山麓を襲いました。次第に加速して音速に近い1080q/時に達し、扇状に600平方キロメートルの山林をなぎ倒します。その熱は、さらに周囲の木々を焼き、立ち木のままで枯死させました。

 一方、山頂付近の湖は火砕流の熱で一瞬の間に蒸発し、マグマ噴火とは別に、巨大な水蒸気爆発が起こります。爆発音は、アイダホやモンタナ州、カリフォルニア州北部、カナダのブリティッシュコロンビア州に届きました。

 火山灰は、翌日に遠くコロラドやオクラホマ州に達しましたが、近隣でも風上のポートランドに降ることはありませんでした。奇妙にも感じられますが、6州にとどろいた水蒸気爆発の音響も、山の裏側のポートランドで聞かれることはありませんでした。


ロッジ経営者ら犠牲者は57人


  噴火の被害は、家屋250軒と47橋、鉄道24 km、道路300kmに及びましたが、これほどの大噴火で死者が57人で済んだのは、御嶽山の噴火で行方不明6人を含め63人の犠牲者が出たことを考えると奇跡的です。

Photographer Reid Blackburn's Car

 規模こそ想定外でしたが噴火の予兆は明らかで、州知事が早めに避難命令を出していたからです。4月3日に非常事態宣言を発し、30日には立ち入り禁止区域を設け許可なく入場した者に500ドルの罰金か6ヶ月の禁固を課していました。

 しかし、それでも逃げなかった山頂付近でロッジを営む83歳のご主人は、16匹のネコを道連れに深さ40~50mの土砂の底に埋まってしまいました。ほかに著名な火山学者と科学雑誌の写真家も亡くなっています。


その後の火山活動


クジラの背中に似た溶岩ドーム

 セントへレンズ山は5月25日に再噴火。8月初めまで間欠的に噴火を続けて2ヶ月休み、10月の噴火を経て3つの溶岩ドームを形成。大カルデラの中には、新たな氷河が誕生します。噴火時の風向きにより、時にはポートランドにうっすらと降灰することもありました。

 その後、大きな噴火が起きることはなくなりました。1980年の年末から1991年までは静かな溶岩の噴出が続き、溶岩ドームの成長が観測されました。同様の溶岩の噴出は、2004~08年にも再び起きています。