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2015年6月15日 (第108号)

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セントラルオハイオ(コロンバス)のe-ガイドを一新しました!!

  アーミッシュカントリーやホッキングヒルズの行楽

 Googleマップが、仕様を変更しました。Googleは改良だというのですが、中には使えなくなった機能もあり、本サイトにも、お見苦しい箇所が多数発生してしまいました。少し時間をかけて見直していきますので、しばらくご辛抱ください。


新Googleマップの使い方


 手始めにコロンバス(オハイオ)・e-ガイドのページを手直ししてみました。新Googleマップの長所の一つは、1枚の地図に掲載できる場所の数が増えたことです。おかげで、オハイオ州全域の日系サービスの拠点や行楽地 約650ヶ所が、下のオハイオ・e-マップ1枚に収まりました。

 (日本食材店) (博物館) (動物園) (植物園) など地図上のマーカーをクリックすると、お店や行楽地の詳細情報と動画や画像が表示されます。

 地図の左肩の をクリックすると掲載先の一覧が表示されます。コロンバス周辺やオハイオ南東部なら、掲載先索引をクリックなさった方が、より詳しい情報を得られるでしょう。

オハイオ州・e-マップ

掲載先索引…各地の詳細には楽しい動画や画像がたくさん入っています。

公共とサービス】 【ショッピングと外食】 【ダウンタウンと周辺】 【グレーターコロンバスとセントラルオハイオ

マンスフィールドとアーミッシュカントリー】 【ホッキングヒルズとブラックハンドゴージ】 【チリコシーとハンギングロック】 【ゼーンズビルとマスキンガム川

サンプル

 今回は、コロンバス(オハイオ)・e-ガイドに、これまで書き尽くしていなかった市内や、セントラルオハイオとオハイオ南東部の山がちな地方の行楽案内を加え、文中の地名をクリックすると動画や画像をごらんになれるように設定しました。


アーミッシュ・カントリー


Amish Buggy, Ohio

 いつものことですが、記事を書いていると色々な疑問がぶつかり、調べているうちに新たな発見をします。

 アーミッシュと呼ばれる人々をご存じですか?電気など近代文明の助けを借りず自給自足の生活を続けているキリスト教徒ですね!今回は、オハイオのアーミッシュ・カントリーの記事を書くにあたって、全米のアーミッシュの人々の人口分布を調べてみました。

 左の図は2012年のオハイオ州立大学の調査によるものですが、全米には24万1千人のアーミッシュがいて、その7割がオハイオ・ペンシルバニア・インディアナの3州に住んでいます。

+++++ アーミッシュの歴史 +++++

 アーミッシュは、1525年にスイスの宗教改革者ツビングリが唱えた再洗礼派という新教の一派から分派しました。1693年にアンマン(Jacob Amman)が率いる最も厳格な一団が、メノナイトなど他の再洗礼派とたもとを分かち、アーミッシュ(Amish)と呼ばれるようになりました。

 一方、アメリカでは、1682年にクエーカー教徒のウィリアム・ペンが、宗教的に自由なペンシルバニア植民地を創設。1737年に、最初のアーミッシュがペンシルバニアに入植します。オハイオには1809年から、インディアナには1830年代に移住が始まりました。

+++++ 三大アーミッシュ・カントリー +++++

 1920年に5千人だったアーミッシュの人口は、年率4~5%の割合で増えて2014年には29万人に達し、最近は3州以外に住む人も多くなりました。

 三大居住地は、まずペンシルバニア州ランカスターを中心としたペンシルバニアダッチ・カントリー(ホームページ)…ダッチドイツ」と語源は同じで、ペンシルバニアダッチといえば、ドイツからやってきてペンシルバニアに定住したアーミッシュの人々のことです。昔は、英語でライン川上流のドイツ南部をハイダッチ、下流のオランダをローダッチと呼んでいました。

 ランカスターはフィラデルフィアから車で西に1時間。東部の大都市に近いせいか、ランカスターには、アーミッシュにちなむアトラクションがそろっています。

 二つ目が、今回の記事でご案内したオハイオのアーミッシュ・カントリー。国立景勝バイウェーまでの道のりが田舎道で、コロンバスからなら車で2時間近くかかるかもしれません。クリーブランド方面なら1時間半。三つ目は、インディアナ北部。ミシガン州境に近いために別名ミシアナと呼ばれる地方の東部エルクハート周辺。こちらのアーミッシュ・カントリーにも、ヘリテージ・トレイルという美しいドライブコースがあります。


ホッキングヒルズと製鉄


地表や地表付近に砂岩耐水層がある地域 南北戦争前の製鉄地帯

 今度、もう一つ興味深く勉強したのは、コロンバスから南に車で1時間で行けるハイキングコースのホッキングヒルズに関することがらです。

 これまで深く考えたことがなかったのですが、このあたりはアパラチア山脈の西麓で、3~4億年前の石炭紀には内海がありました。

 地表は浅瀬に砂が堆積してできた砂岩で、断崖や洞窟は、砂岩層が浸食されてできました。

 石炭は当時の大森林が炭化してできたもので、この地域の砂岩層の分布はアパラチア炭田の広がりと完全に一致しています。さらに、大森林が炭化せずに、ガス化して地下深くの砂岩層に滞留したら…という訳で、シェールガスも埋蔵している地域なのです。

Conkle's Hollow, Hocking Hills

Rock Cliff, Natural Bridge

Natural Bridge

 イースタンケンタッキーにもナチュラルブリッジというよく似た景勝地があるので、調べてみると、やはり砂岩の浸食によりできた地形でした。

 興味深いのは、景観だけではありません。ホッキングヒルズの南部からケンタッキーにかけて、19世紀前半には全米一の生産量を誇った製鉄地帯が存在しました。オハイオ川河岸の小さな町の名前から、ハンギングロック製鉄地帯と呼ばれています。

 当時のアメリカは、まだ木炭製鉄炉の時代。この地方の砂岩には砂鉄が含まれ、木炭のもとの木々も豊富でした。ケンタッキーには、ほかにもナチュラルブリッジ付近と、テネシー川とカンバーランド川の河口部に挟まれた地域に製鉄地帯があり、南北戦争(1861~65年)前は、何と全米一の製鉄州だったのです。

 e-ニュースの先月号で、リンカーンのケンタッキーを失うのは、全てを失うに等しいという発言をご紹介しましたが、当時のケンタッキーは、戦略的な位置や農産品の供給のためだけではなく、銃や南北戦争で活躍した装甲艦を作る鉄の供給基地としても、重要だったのですね。北軍は、西部戦線でいち早くテネシー川とカンバーランド川の下流を制圧し、アメリカの主要製鉄地帯をほぼ独占してしまいました。

 しかし、南部連合も、ただ手をこまねいていたわけではありません。戦争直前の1859年から1862年にかけ、アラバマ州バーミングハムのタンヒル製鉄炉を増強していたおかげで、危急をしのぐことができました。ここも、アパラチア西麓の砂岩地帯の延長ですね。その製鉄炉も、1865年3月に北軍の手で焼かれてしまいましたが、その翌月に、南北戦争は実質的に終戦したのでした。