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2015年8月15日 (第110号)

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アメリカ生活・e-ニュース


管理人だより 日本で戦後70年の首相談話が注目されている間に、アメリカ外交も、一つの転機を迎えていました。7月20日の米・キューバ国交回復、7月14日のイラン核協議の合意、7月7日のベトナム元首の初訪米…それぞれ、かつての敵対関係に区切りをつける出来事でした。

  そんなわけで、今月は、日本、キューバ、イラン、ベトナムの対米関係の歴史を書いてみようと意気込んだのですが、いずれも重たい話題で、目標の半分しか達成できませんでした。積み残したイランとベトナムは、またいずれフォローします。

  複雑な現代の問題を考える参考として読んでいただければ幸いです。


カレンダー 9月7日(月)レイバーデー 9月11日(金)愛国者の日…同時多発テロの日 9月13日(日)祖父母の日 9月20日(月)プライムタイム・エミー賞(Foxで放送) 9月21∼23日(月∼水)敬老の日∼秋分の日三連休…日本

季節の話題 害虫と殺虫剤・防虫剤北米の花粉症北米の日焼け止め竜巻(トルネード)街道 落雷と避難法 ★ボールサイズの雹(ひょう) シカの衝突事故に注意 高木の枝の剪定

季節のe-レシピ ★たたき風牛サーロイン煮 ★夏野菜で作るイタリアベジタブルカスタード 夏のおつまみにもOK スリーミニッツチキン みかんトッピングのヨーグルトババロア おいしくて薬効のあるレモンジンジャーゼリー ココナッツクラストのラズベリーパイ


 【戦後70年】 捕鯨大国アメリカ…インド洋回りでハワイ・日本

  ロシアは、アラスカ・千島より樺太・満州・朝鮮が好き

 アメリカが西海岸を手に入れたのは1840年代の後半ですが、パナマ運河ができたのは1914年、最初の大陸横断鉄道が開通したのも1869年。長い間、太平洋は世界のさいはての海でしたが、捕鯨業には遠くてもかけがえのない最重要漁場でした。1859年にペンシルバニアで油田が発見され石油生産が本格化するまで、鯨はランプの灯油やロウソク・日用品の材料として欠かせなかったからです。アメリカだけで年間1万頭のクジラを捕獲していました。1853年にペリーが日本に来航して幕府に開国を迫ったのも、捕鯨船の給炭地として期待したからでした。1867年に、ロシアはアメリカにアラスカを売りました。大損したようですが、戦争の調停をして清から外満州の大領土を獲得していたので痛手はありません。外満州は、ロシアがさらに満州から朝鮮へと南下する足がかりとなり、ついには日本の安全を脅かすようになりました。全文を読む


【戦後70年】 当初は「敵はソ連」…アメリカと戦いたくなかった日本

  転機は、「三国同盟」、「西安事件」、「南部仏印進駐」

 1931年の満州事変は日本軍の謀略ですが、その前の中華民国の対日嫌がらせが度を越していたので、国際社会は意外に日本に好意的でした。アメリカも対日経済制裁に反対しています。日本は、清朝最後の皇帝を立てて満州国を建国…清は満州族(女真族)の王朝でしたから、満州に里帰りという理屈です。中華民国にも反論しにくい事情がありました。辛亥革命のリーダーの孫文は、民族自決の原則により清王朝を満州に帰すつもりだったのです。結局、反対派の主張が通って中華民国は旧清朝の全域を引き継ぎ、その後の中華人民共和国も、チベット族、モンゴル族、ウイグル族の反乱を背負い込むことになってしまったのです。日本は独ソ関係を見誤り、日独伊三国同盟にソ連を加えたユーラシア同盟で米英に立ち向かおうとしますが、独ソ開戦で夢は破れます。ソ連は、日本と戦わせ共倒れにする企みで西安事件を起こし国民党政府を手なずけます。日本は日中戦争を打開しようと南部仏印(南ベトナム)に進駐した時点で、後戻りできなくなりました。全文を読む


【米・キューバ国交回復】 1898年に米西戦争で半植民地化

  マフィア傀儡政権で首都ハバナはカジノ・麻薬天国

 第一次キューバ独立戦争(1868∼78年)の反乱軍の残党はアメリカに亡命し再起を図っていましたが、1895年に再び独立戦争を起こします。しかし、その間にキューバにはアメリカ資本が進出し、砂糖産業を牛耳るようになっていました。アメリカが自国の利権を守るには、キューバの独立はかえって迷惑…独立を助けるふりをして、米西戦争でスペインからキューバを奪い取ってしまいます。しかし、1930年代に軍事クーデターで政権を取ったバチスタは、資本主義を支持する一方で必要な社会改革も実行し、しばらくは政情が安定しました。ところが、バチスタはキューバを離れアメリカで8年間過ごした後、1952年に帰国して再び軍事クーデターで大統領の座に復帰。アメリカ時代に親しくなったマフィアに利権を許し、首都ハバナはカジノと麻薬の天国になりました。キューバ経済は、アメリカ資本の独占状態になります。全文を読む


【米・キューバ国交回復】 CIAが亡命キューバ人の反攻を支援

  海上封鎖でミサイル基地阻止…米ソ核戦争の危機

 1961年、CIA(中央情報局)は、共和党アイゼンハワー政権下で亡命キューバ人を訓練し、キューバの革命政府を転覆させようと企んでいました。しかし、大統領選挙で民主党のケネディが勝利した結果、キューバ侵攻作戦は大きく制限され、大失敗に終わります。翌1962年、キューバでは、全米を射程に収めるソ連の核ミサイル基地が建設中でした。これを、アメリカの偵察機が発見。アメリカは、残りのミサイル搬入を阻止するためにキューバ海域を海上封鎖、空軍は全世界で対ソ臨戦態勢に入りました。全文を読む