北米の文化圏…東半部は一次入植地、「大西部」は二次入植地
「北部」は自由・平等・博愛、「南部」はキリスト教家族主義
ヨーロッパなら小さな国までご存知の方も、アメリカやカナダの州となると、半分も知っていれば成績優秀といったところでしょうか?ましてや、各地の文化の違いを知っておられる方は数えるほどでしょう。そんな中で、皆さんに各地の文化の違いをご説明するのはハードルの高い挑戦ですが、一つ分かりやすい地図を見つけたので、それを手掛かりにしてみました。
今回は、カナダや周辺部を除いて全米を概観することとし、次回以降、北部・南部・大西部の各地域の文化と各地域への移民の歴史を振り返ってみたいと思います。
コリン・ウッダード著:
アメリカの諸国家
下の地図は、今年(2016年)ピューリツァー賞を受賞したエッセイストのコリン・ウッダードが2011年に書いた「アメリカの諸国家…副題:北米で競い合う11文化圏の歴史(American
Nations: A
History of the Eleven Rival Regional Cultures of North America)」の中で使われた文化圏のおおよその境界を書き写したものです。
デイビッド・ハケット・フィッシャー著:
イギリス人が蒔いた種
また、同じくピューリツァー賞受賞の歴史家デイビッド・ハケット・フィッシャー教授が1989年に書いた「イギリス人が撒いた種…副題:イギリスからアメリカに持ち込まれた4つの習俗(Albion's
Seed: Four
British Folkways in America)」によれば、アメリカ文化の源流は、イギリスの4地方からアメリカの4地方に移植された思考様式や行動様式だというので、その流れも書き加えました。
地域 |
北米の文化圏(アメリカの諸国家) |
源流にある文化(*イギリス人が蒔いた種) |
北部 |
ヤンキー国(Yankeedam) |
共同体・教育重視の文化(*マサチューセッツ植民地←清教徒) |
ニューネザランド(New
Netherland) |
17世紀前半の絶頂期オランダさながらのグローバルな文化 |
ミッドランズ
(The
Midlands)
|
デラウェア渓谷~大平原 |
多様性(友愛)とものづくりの文化(*デラウェア渓谷←クエーカー教徒) |
カナダ(オンタリオ州南部) |
独立戦争後にニューヨーク市周辺部の北部王党派が流入 |
ニューフランス・カナダ(New
France) |
17世紀前半に現ケベック州中心にフランス系カトリック教徒が入植 |
南部 |
バージニア沿岸部(Tidewater) |
封建的農場経営の文化(*バージニア植民地←英南部の下級地主) |
ディープサウス(Deep
South) |
黒人奴隷に頼る大規模プランテーション農業↼旧英領バルバドス |
大アパラチア(Great
Appalachia) |
個人経営の農業・牧畜文化(*アパラチア奥地←飢饉と戦乱から逃避) |
フロリダ南部(Spanish
Caribbean) |
キューバなど旧スペイン領西インド諸島の文化 |
ニューフランス・ルイジアナ(New
France) |
アカディア・カリブ海・アフリカなど旧フランス領からの移住者の文化 |
大西部 |
ファーウェスト(The
Far West) |
二次入植地…
反連邦・反大企業の被害者意識(自由至上主義) |
旧メキシコ領北部(El
Norte) |
二次入植地…強い自立心と自足の精神、順応性高く勤勉 |
アメリカ左岸(The Left
Coast) |
二次入植地…ヤンキー的理想追及とアパラチア的自己主張 |
細かいことをいうと、コリン・ウッダードのいう北米の11文化圏の中にはカナダ北部の北米原住民の文化圏(First
Nation=カナダでイヌイットやインディアンなど原住民を指す言葉)が含まれ、フロリダ南部の旧スペイン領西インド諸島の文化圏は含まれていません。
また、地図の外でカナダ最北東端のニューファンドランド地方(Newfoundland)は、10世紀末に北欧のヴァイキングが入植したり、コロンブスの新大陸発見前からバスク地方(スペインとフランスの国境地帯)の漁民が漁場として行き来していた北米でも特別な地域です。これも別の文化圏に数えられますが、今回は詳細説明を割愛します。
上の表では、私の解釈でミッドランズ(Midlands)を米国域とカナダ域に分けました。また、表に掲げた13文化圏を、便宜的に北部5文化圏と南部5文化圏及び大西部3文化圏に大別し、説明しやすくしました。
東西に長い北部・南部の文化圏
1782~1802…緯度に沿って西に伸びる沿岸各州(⇒拡大) |
アメリカの東半分の文化圏が、東西に横に長いのには理由があります。
独立直後の13植民地の多くが、イギリスから得たアパラチア山脈より西部のインディアンの土地を、左図のように州境を西に帯状に延長して切り分け、山分けしようとしたからです。
最終的にはメリーランド州など追加領土を要求しない州の主張が通り、西部ではケンタッキー州とテネシーの2州が独立し、北に北西部準州と南にミシシッピ準州が設けられることになります。
===【北部】ニューイングランド文化
===
マサチューセッツ植民地を切り開いた清教徒を始祖にニューイングランドで育った共同体・教育重視の文化は、五大湖の水運を通じて沿岸に伝播し、北部の商工業を発展させていく原動力になりました。
アメリカ独立戦争やフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」を信じ、愛国心も強い土地柄といえるでしょうか。体制的には、個々の州より全米を束ねる強い連邦の権力に期待する傾向があります。
===【北部】中部植民地の文化
===
コリン・ウッダードは、ニューイングランドから五大湖沿岸地帯を「ヤンキー国」と名づけました。「ヤンキー」は南部人が北部人をけなして使うあだ名ですから、代表的な北部を「ヤンキー国」と呼ぶことに私も異論ははさみません。
しかし、今もニューヨーク市の球団が「ヤンキース」であるように、本来の「ヤンキー」は、17世紀前半にマンハッタン島を中心に栄えた旧オランダ植民地「ニューネザランド」の人々に与えられたニックネームでした。その後も、絶頂期オランダさながらのグローバルな文化の伝統を受け継ぎ、全米でも、ユダヤ人など被差別民族に最も寛容な地域となっています。
その南のデラウェア川河口(右図)にできた小さなスウェーデンの植民地は、やがてオランダ領からイギリス領と変わりました。中でもペンシルバニア植民地には友愛を信条とするクエーカー教徒が入植し、ニューネザランドについで多様な民族や多様な宗教の信者が共存するリベラルな地域となります。
クエーカー教徒のものづくりの文化は、北部全体に伝播しました。ペンシルバニアの文化圏は、ナショナルロード(アメリカ初の舗装幹線道路)を通じて西へ帯状に伸びて行きましたが、19世紀半ば以降ドイツ系移民が増加し、南部の文化も波及して次第に保守的な勢力も拮抗するようになって行きます。コリン・ウッダードは、この地域を「ミッドランズ」と呼んでいます。
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南部植民地の文化 =====
今では死語ですが、南北戦争前には北部の「ヤンキー」に対し、バージニアや南北カロライナで「タカホ」と「コヒー」という異なるタイプの南部人を表す言葉がありました。「タカホ」は17世紀初めにバージニア植民地の沿岸部「タイドウォーター」に入植したイギリスの下級地主を始祖とする封建的農場経営を志向する人々で、「コヒー」は18世紀にイギリス北部から飢饉や戦乱を逃れ、当時「奥地」と呼ばれたアパラチア山麓の台地に入植してきた家族農業を志向する人々でした。
「コヒー」は、初期の西部開拓者としてアパラチア山脈を越え、ケンタッキーやテネシーに文化圏を拡大しました。コリン・ウッダードは、この地域を「大アパラチア」と呼んでいますが、一般に「アッパーサウス」と呼ばれ地域とほぼ重なります。
「タカホ」の文化は、サウスカロライナで一段と発展しました。旧英領バルバドスからの移民がもたらしたサトウキビの大規模農場の経営技術と、18世紀末に発明された綿繰り機の生産技術が融合し、黒人奴隷を使役する綿花プランテーション農業が開花します。綿花プランテーションは、19世紀に入り急速に「ディープサウス」一帯に拡がりました。
南部の人々は、「自由・平等・博愛」よりキリスト教的な家族主義や秩序を大事にします。人工中絶やLGBT(同性愛者等)についても、神が許さなければ連邦政府が決めたことでも従うわけにはいかないという信心深い人々も大勢います。「ヤンキー」主導の連邦主義に反発し、強い州権を維持しようとするのも自然の成行きです。
「アッパーサウス」と「ディープサウス」の最大の違いは、黒人の人口比率でしょう。「アッパーサウス」の田舎は、黒人を滅多に見かけることのない白人社会です。また、アパラチア山脈の奥深い炭鉱地帯には、アメリカの繁栄から取り残されたプアホワイトと呼ばれる白人低所得層が存在します。
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大西部は二次入植地 =====
大西部(Old
West)として区分けしたのは、1840年代のオレゴン協定と米墨戦争により一気に太平洋岸まで拡大したアメリカの新領土で、開拓者(パイオニア)たちに残された最後のフロンティアでした。それまで開拓者の多くはアメリカに移民して間もない1世・2世でしたが、大西部に入植した人々の大半は、アメリカの他の土地から移住してきた二次入植者でした。
最初に開けたのは、コリン・ウッダードが「アメリカ左岸」と名づけたノースウェストと北部カリフォルニアの一帯です。この地方には、海路で「ヤンキー国」の人々が移住し、同時にオレゴントレイルやカリフォルニアトレイル経由幌馬車で「大アパラチア」の人々も移住し、ヤンキー的理想追及とアパラチア的自己主張が融合した先進的な文化が生まれました。
「旧メキシコ領北部」には強い自立心と自足の精神を備えた人々が移住し、順応性が高く勤勉です。「ファーウェスト」には、鉄道や鉱山開発、ダム建設などの大事業のために、連邦政府や各地の大企業から送り込まれた人々が多く、反連邦・反大企業の被害者意識と表裏の関係で、過激な自由至上主義を訴える人々も多いようです。
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