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2017年6月15日 (第130号)

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アメリカ生活・e-ニュース


管理人だより 7月4日はアメリカの独立記念日ですが、7月1日はカナダデー…英領北アメリカ法が施行され、北米のイギリス植民地が統合され自治領カナダが建国された記念日ですが、今年は150周年の節目の年です。

  私は1987年に銀行の仕事でカナダのトロントに赴任し、早々にノバスコシア州やマニトバ州政府の幹部に円建ての起債を勧めに行ったことがありました。西も東も分からないうちで仕方なかったのですが、お客様のことを何も知らずにセールスに出向いたと思うと恥ずかしく、今でも顔から火が出る思いです。ですから、今月の記事で私がカナダの建国の歴史を書くのは、若い皆さんに私と同じような思いをしていただきたくないからで、私にとっては30年ぶりのカナダ赴任の総決算です。

  しかし、皆さんに読んでいただくつもりで書く時にはいつもそうですが、思い込みで間違いをおかさないよう次々に裏付けの文献を読む羽目になり、最終的には、当初の想定をはるかに上回る大作になってしまいます。今度も書いているうちに、カナダ史はコロンブスの新大陸発見の直後に始まり、アメリカも含む北米史の起点であると実感しました。

  歴史を短く分かりやすく書くのは骨の折れる仕事で、時間もかかります。少し日常の話題がおろそかになりますが、次号でも引続き北米史の中のカナダ史を、できるだけ図解を多用して丁寧に書いてみたいと思っています。


カレンダー 7月1日(土)カナダデー ★7月4日(日)独立記念日 7月11日(火)大リーグ・オールスターゲーム 7月17日(月)海の日…日本 ★7月20日(木)〜23日(日)全英オープン…ゴルフ

季節の話題 害虫と殺虫剤・防虫剤 害獣対策 施肥(除草・除虫)と種まき 芝刈り 芝生の水撒き 花を植える北米の花粉症北米の日焼け止め竜巻(トルネード)街道 落雷と避難法

季節のe-レシピ ★オーブンで豚スペアリブのアメリカンバーベキュー 豚スペアリブのパイン煮 オーブン30分で素早くできる楽々チェリーパイ たたき風牛サーロイン煮 夏のおつまみにもOK…スリーミニッツチキン あら不思議…色が二段に分かれるグレープゼリー 意外に簡単にできる水ようかん


社 会

歴 史

 今年の7月1日は「自治領」建国150周年のカナダデー

 英仏の争いでマチマチな過去を抱く植民地が連邦化

 カナダの地理に詳しくない方は、本文の地図と照らし合わせてお読みください。世界有数の漁場に臨むニューファンドランド島、沿海の旧仏領アカディア地方(ノバスコシア・ニューブランズウィック・プリンスエドワード島)、セントローレンス川の下流と上流のケベックとオンタリオ、ハドソン湾からネス川を上って南下すると毛皮交易の拠点レッド川(現マニトバ)、サスカチュワン川に沿ってハドソン湾会社の交易ルート伝いにロッキー山脈を越えたら英領コロンビア植民地、北西準州の穀倉地帯には後にアメリカの農民が移住。150年前の7月1日にカナダの植民地は、英仏の北米植民地戦争に翻弄され、マチマチな過去を持ちながらも、一つの連邦としてスタートしました。英領となってもフランス系住民が残ったケベック州では、今でも93%の住民の母語がフランス語で公用語はフランス語のみ。フランス系住民が一度は追放された旧アカディアでさえ、ニューブランズウィックの場合は32%の住民の母語がフランス語で、公用語は英語とフランス語です。全文を読む


社 会

歴 史

 軍事・経済で自立し、隣国アメリカの脅威に対抗するねらい

 影の議題は東西植民地を貫く鉄道インフラの整備

 アメリカ独立戦争の時も、1812年の米英戦争の時も、アメリカはことあるごとにカナダを併合しようと、ちょっかいを出してきました。いつまでもカナダの植民地がバラバラでは、隣国の脅威に対抗することができません。まずはオンタリオからノバスコシアに至る植民地間鉄道を建設し、いずれはブリティッシュ・コロンビアのバンクーバーと結ぶ大陸横断鉄道を敷設し、アメリカに負けない軍事・経済力を養ってイギリスから自立するのが建国の目的でした。1864年にプリンスエドワード島で開かれた沿海3植民地の会議に、カナダ連合(オンタリオとケベック)の代表が飛び入りし、カナダ全土の植民地を統合する連邦化構想を力説しました。翌年のケベック会議で条件を決めた後、それぞれの議会や住民の反発で実現困難になりかけましたが、財政悪化に苦しむノバスコシアとニューブランズウィックが思い直して何とか建国の道筋がつきました。全文を読む


社 会

歴 史

 長かった完全独立への道のり…仏系住民に今もくすぶる不満

 カエデの新国旗は1965年、自主憲法は1982年

 自治領カナダが誕生し、マニトバやブリティッシュ・コロンビアも連邦に加わり鉄道も西海岸に伸び、カナダ経済は1890年代に力強い成長を始めました。しかし、自治領に軍事・外交の権限はありません。カナダは陸・海軍を整備し、オーストラリアなど他の英連邦自治領とともに第一次世界大戦で奮戦しました。おかげで、戦後にできた国際連盟に独立国待遇で加盟することができます。次いで1931年のウェストミンスター憲章で、ようやくイギリスと対等の独立国であることが認められました。1965年にはカエデの現国旗が制定され、1982年にはついに自主憲法が制定されました。しかし、フランス系住民の一部には未だに強い歴史的な不満や怨念が残っていて、ケベック州だけは35年経っても自主憲法を批准することができずにいます。全文を読む