17世紀の北米植民地に現代アメリカ・カナダ各地の文化の源流
英・西領は東・南部沿岸、仏領は河川と湖の点と線
この夏から北米史を勉強し「文化域」ごとに連載しようと、まずはカナダから取りかかりました。先月号ではカナダ中心に「16世紀の北米探検時代」について書き、次号では「17世紀の北米植民地建設時代のカナダ」についてご案内する予定ですが、この時代は個々の植民地がヨチヨチ歩きで、他の植民地とひとくくりで見ないと様子がよく分かりません。
そこで、16~17世紀にできた北米の植民地をグループ分けして、それぞれの特色を要約してご説明することにしました。下の地図は、1702年時点の北米とカリブ海における英仏西3国の勢力図です。イギリスは大西洋岸、スペインはメキシコ湾岸に進出し、フランスはセントローレンス川~五大湖~ミシシッピ川を結ぶ点と線を確保しました。
その下の「英仏西植民地の人口推移」の表には、各植民地の設立年や人口推移に加え、それぞれの特色を一言ずつ付記しました。続く箇条書きでは、各植民地の由来や文化につきほんの少し詳しく説明しましたが、現代の北米各地の土地柄や文化の源流があるように思います。
軽く読み流していただくだけで十分ですが、イギリス植民地の人口が、フランス植民地と比べ圧倒的に多いことだけは読み取ってください。ちなみに、西暦1700年のヨーロッパ各国の推定人口は以下の通りです。
イギリス 9,250千人 (イングランド 5,750/スコットランド
1,000/アイルランド 2,500)
フランス
22,000千人, オランダ 2,000千人,
スペイン 8,000千人,
ポルトガル
2,000千人
アメリカ独立戦争(1775~83年)中の1780年に、アメリカの人口は2,780千人に達しました。既にオランダやポルトガルを凌駕し、イングランドと比べても半分に近い、独立国家として遜色のない人口だったことが分かります。一方で、カナダの人口は、まだメリーランド1州の半分程度でした。
18世紀初頭の英仏西植民地
(⇒拡大)
英仏西植民地の人口推移
植民地 |
特色 |
設立 |
人口推移(単位:千人) |
1620 |
1640 |
1660 |
1680 |
1700 |
1720 |
1740 |
1760 |
1780 |
(英)ニューファンドランド |
漁業基地 |
1610~ |
0.1 |
? |
? |
1.8 |
? |
? |
6.0 |
? |
10.2 |
(英)ハドソン湾 |
毛皮交易 |
1670~ |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
(仏)アカディア |
イエズス会 |
1604~ |
0.1 |
? |
? |
0.5 |
? |
? |
18.0 |
4.2 |
30.0 |
(仏)カナダ |
毛皮交易 |
1608~ |
0.1 |
0.2 |
3.2 |
9.7 |
15.4 |
23.0 |
40.0 |
70.0 |
90.0 |
(仏)ルイジアナ |
クレオール人 |
1699~ |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
フランス加植民地計 |
|
|
0.2 |
ー |
ー |
10.2 |
ー |
ー |
58.0 |
74.2 |
120.0 |
(英)ニューイングランド |
清教徒移民 |
1620~ |
0.1 |
13.7 |
33.2 |
68.5 |
92.8 |
170.9 |
289.7 |
449.6 |
712.8 |
(英)ニューヨーク等 |
保守・リベラル |
1614~ |
ー |
1.9 |
4.9 |
13.2 |
33.1 |
66.7 |
115.1 |
210.9 |
350.1 |
(英)ペンシルバニア等 |
信教の自由 |
1681~ |
ー |
ー |
0.5 |
1.7 |
20.5 |
36.4 |
105.5 |
217.0 |
372.8 |
(英)メリーランド |
カトリック移民 |
1634~ |
ー |
0.5 |
8.4 |
17.9 |
29.6 |
66.1 |
116.1 |
162.3 |
245.5 |
(英)バージニア |
開拓移民 |
1607~ |
0.4 |
10.4 |
27.0 |
43.6 |
58.6 |
87.8 |
180.4 |
339.7 |
583.0 |
(英)カロライナ |
奴隷・大農場 |
1663~ |
ー |
ー |
1.0 |
6.6 |
16.4 |
38.3 |
98.8 |
214.1 |
516.2 |
イギリス米植民地計 |
|
|
0.5 |
26.6 |
75.1 |
151.5 |
250.9 |
466.2 |
905.6 |
1593.6 |
2780.4 |
(西)フロリダ |
軍事拠点 |
1565~ |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
(西)ニューメキシコ |
先住民支配 |
1598~ |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
ー |
参考(英)西インド諸島 |
奴隷・大農場 |
1627~ |
? |
? |
? |
? |
121.0 |
? |
? |
? |
? |
(注1)
人口には黒人を含むが、インディアンは含まない。後にアメリカとして独立するイギリス13植民地の人口は国勢調査局(Census)の数字だが、その他の数字の出所はマチマチで、年代も20年ごとの区切りになるべく近いものを採用したので精度は低い。
(注2)
ニューヨーク・ニュージャージー・ペンシルバニア・デラウェアの4植民地は一括して中部植民地と呼ばれるが、ニューヨーク・ニュージャージーとペンシルバニア・デラウェアは性格的に少し違うので便宜的に二つに分けた。
(注3)
南部3植民地も、バージニア・メリーランド・カロライナを別々にした。18世紀にはカロライナが南北に分かれ、さらにスペイン領フロリダとの緩衝地帯としてジョージアが設けられ、5植民地となる。1780年のケンタッキーとテネシーの人口は、それぞれバージニアとカロライナに含まれている。
(注4)
ニューイングランドの植民地はお互いに文化的に似ているので分けなかった。ピルグリムファーザーズが設立したプリマス植民地はマサチューセッツ植民地に吸収されたので、アメリカ独立戦争の時点ではロードアイランド、コネチカット、ニューハンプシャーと合わせ4植民地…中部4植民地、南部5植民地を加えて独立13州。バーモント植民地とメーン植民地は独立13州には含まれないが、人口はニューイングランドに含まれている。
英領カナダ・仏領カナダ・ルイジアナ
1.
ニューファンドランド島英植民地
沖合のグランドバンク(浅碓)で獲れるタラを保存加工する漁業基地。英西戦争でスペイン・ポルトガルの漁民を一掃しイギリスが領有したが、フランスも後から植民地を建設し領有権を争った。
2.
アカディア仏植民地(カナダ沿海部…ノバスコシア・ニューブランズウィック・プリンスエドワード島)
新教・旧教の内戦が起きたり、スコットランド、イングランド、オランダに相次いで占領されたりして、一般の入植はなかなか進まなかった。イエズス会宣教師がインディアンをカトリックに教化し、繰返しニューイングランド英植民地を襲わせた。
3.
カナダ仏植民地(セントローレンス川流域…ケベック・オンタリオ)
ビーバーの毛皮交易で発展したフランスの主力植民地。セントローレンス川流域のインディアンと手を結んだのはよいが、ハドソン川流域やオンタリオ湖南岸を本拠とし、オランダの支援を受けるイロコイ連邦インディアンとの抗争に巻き込まれた。
4.
ハドソン湾英植民地
ハドソン湾会社が北極海航路を開拓、カナダ内陸のインディアンとの交易所を設置した。陸上ルートで内陸のインディアンと交易するカナダ仏植民地の北西会社と覇を競った。その後19世紀には、アメリカのオレゴントレイルに対応するカナダ西部開拓ルートの起点となる。
5.
ルイジアナ仏植民地
ミシガン湖からイリノイ川・ミシシッピー川を下ってメキシコ湾岸に通じるルートを開拓し、要所に砦を設けた。18世紀には西アフリカやカリブ海の仏植民地から混血のクレオール人や、イギリスに追放されたアカディアのフランス系移民が、ミシシッピー川河口付近を中心に入植した。その後1803年にナポレオンから購入し、アメリカ領となる。
スペイン領アメリカ・英領西インド諸島
1.
フロリダ・スペイン植民地
スペイン領フロリダにフランスの新教徒が16世紀に入植を試み、これをスペインが阻止しあわてて設けた北米初の恒久植民地。中南米や西インド諸島のスペイン領防衛が主眼の軍事拠点だった。その後1821年にスペインから購入し、アメリカ領となる。
2.
ニューメキシコ・スペイン植民地
16世紀末にプエブロ族の集落群を征服。キリスト教に改宗させようと再三試みるも成功せず、インディアンは反抗を繰り返した。インディアン社会に、ウマを持ち込んだ。その後米墨戦争の末、1848年にメキシコから有償で割譲され、アメリカ領となる。
3.
西インド諸島英植民地(バルバドス・ジャマイカほか)
スペイン領西インド諸島では疫病と酷使によって先住民の数が減り、ポルトガルの奴隷船で西アフリカから運ばれた黒人を使役しサトウキビを栽培していた。英領西インド諸島も、スぺインやポルトガルのプランテーション(大農場)経営法を踏襲して経済発展を遂げた。
英領アメリカ(独立13植民地)
1.
バージニア…英南部植民地
イギリスでは16世紀に国内外で毛織物の需要が増え、地主貴族が農地の「囲いこみ」で牧羊地を拡大。農地を失った農民らが、バージニア会社で年季奉公を終え自営農となった。また、長子相続で家を出た地主貴族の次男・三男らが植民地の指導層となった。アメリカ独立戦争まで教会はイングランド国教で、17世紀の清教徒革命でも心情的に王党派(騎士党)を支持する人々が多数を占めた。
2.
ニューイングランド英植民地(マサチューセッツ・コネチカット・ロードアイランド・ニューハンプシャー)
エリザベス女王没後は、清教徒革命の時期を除き名誉革命まで清教徒を弾圧する国王が続いたため、富裕層も含む清教徒が数多く移民した。ピルグリムファーザーズの入植から16年でハーバード大学を設立するほど教育熱心。会衆派教会が支配的で、同じ清教徒でもバプティストやクエーカー、カトリック教徒やユダヤ人は信教の自由が保証されるロードアイランドに集まった。
3.
メリーランド…英南部植民地
カルバート家(ボルチモア卿)が、冬の厳しいニューファンドランド島をあきらめて移り住んだカトリック教徒のための植民地。王妃がフランス王女で、親カトリックのチャールズ1世に願い出て下賜された。宗教を除けば、南隣のバージニアとは姉妹同然といわれるほど似ている。
4.
ニューヨーク・ニュージャージー…英中部植民地
最初に植民地を築いたオランダの主目的は毛皮交易だったが、植民地経済を発展させるためにハドソン川河岸の土地を荘園領主らに与える一方で、ハドソン川河口部にはオランダやワロン地方(現ベルギー南部)の新教徒や、さらにはユダヤ移民まで受け入れられる寛容な移民政策を進めた。そのためイギリス領となってからも、封建的な保守勢力とリベラル勢力が二極に分かれて併存する不穏当な政治状況が続いた。
5.
ペンシルバニア・デラウェア…英中部植民地
清教徒革命でも絶対平和主義の立場から中立を守り、王党派からも議会派からも排斥されたクエーカー教徒のウィリアム・ペンが借金のかたにチャールズ2世から勅許を得て開設した植民地。クエーカーの友愛精神に基づき信教の自由が保証され、ドイツのアーミッシュら宗教難民も率先して受け入れられた。
6.
カロライナ…英南部植民地
バルバドスから二次移民した人々が黒人奴隷とプランテーション農業を移植し、米作で成功した。宗教に寛容で、フランスのユグノー(新教徒)やスペイン系ユダヤ人も入植。18世紀末のホイットニーの綿繰り機の発明を契機に、綿花のプランテーション農業が南部一帯に拡大する。
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