元祖争い


ハンバーグ発祥の地?

 アメリカの国の歴史をたどるNHK番組「アメリカ魂のふるさと」でコネチカット州ニューへブンを「ハンバーガー発祥の地」の一つとして紹介していました。名門イェール大学の目の前にある「ルイス・ランチ(Louis Lunch)」という小さなステーキ食堂で、1990年に忙しいビジネスマンのために、たまたまトーストパンのサンドイッチを作ったのが、近代的なハンバーガーの始まりというお話です。

 このお店は、いまだにケチャップもマスタードもない当時のスタイルの「ハンバーガー」を売っていますが、座席が少ないのでお店で食べるには予約がいります。

2005年ハンバーガー・チェーン市場シェア 

1988年ハンバーガー・チェーン市場シェア 

資料 QSR Report (2005), Nation's Restaurant News (1988)

QSR Reportハンバーガー部門には、Dairy Queen, Steak 'n Shake, Checkers Drive-In/ Rally's, Culver'sもありましたが、比較を容易にするため省きました。

 私たち日本人には、どこの誰が元祖であろうと一向にかまわないような気もしますが、アメリカ人にとっては、アメリカの「国民食」の原点ですから、重要です。その後、各州各地の「お国自慢」争いに発展しています。

 ほかに元祖を名乗るのは、ウィスコンシン州のシーモア、ニューヨーク州のハンバーグ、テキサス州のアセンズなどですが、いずれの説も、ハンバーガーは、1885年頃から全米各地の市場や見本市の会場で売られ始めたという点で共通です。

 中でも普及を助けたのは、コロンブスのアメリカ大陸発見400周年を記念するシカゴ万国博(1893)とルイジアナ購入100周年を記念するセントルイス万国博(1904)で、ホットドッグやアイスクリーム、アイスティーとともに、一躍、買い食い文化の花形賞品となったそうです。


もとは蒙古のタルタルステーキ


 そもそもハンバーガーの原形は、チンギスハンの蒙古帝国がロシアに持ち込んだ遊牧民族の携帯食からヨーロッパで進化した「タルタルステーキ(タタール人のステーキ)」です。

 これがドイツ経由でアメリカにもたらされ、玄関港ハンブルグの名前で呼ばれるようになったというのが定説。

 19世紀末から20世紀初頭にかけての万国博の会場では、「ハンブルグ」タイプのサンドイッチ=ハンバーガーと、「(ソーセージで有名な)フランクフルト」タイプのホットドッグ=フランクフルター…ドイツの大都市の名前をつけたトレンディーな2種類の食べ物が飛ぶように売れていました。

 その後、食肉産業の不衛生な慣行が暴露されたりしてハンバーガー人気もいったん下火になったそうですが、第二次ハンバーガー・ブームは1921年にカンザス州のウィチタで始まります。ハンバーガー専用の丸いパン(bun)を開発したレストラン「ホワイト・キャッスル(White Castle)」がブレークします。ファーストフード・チェーンの歴史の開幕です。


マクドナルドの出現


 1948年にマクドナルドがレストランに「流れ作業」を導入して今日のファーストフード産業繁栄の基礎を築きます。

 たまたま1988年のハンバーガー・チェーンのアメリカ国内市場シェアを見つけたので、最近のデータと比べてみると、マクドナルドのシェアは17年間でほとんど変わっていません。この間に、アメリカ人を肥満地獄に引きずり込んだ主犯と名指しされ数々の訴訟に巻き込まれてきましたが、それでも「マクドナルド帝国」は健在です。

 マクドナルドの看板商品が「ビッグ・マック(Big Mac)」ならバーガー・キングの場合は「ワッパー(Whopper)」。ワップはぶん殴ること、ワッパーといえばどでかいものという意味で、マクドナルドより一回り大きなハンバーガーを売ってきましたが、アメリカ人のダイエット志向の意識変化はバーガー・キングのシェアにネガティブな影響を与えたようです。

 躍進したのはウェンディーズです。いち早くチキン系や野菜系のメニューを充実させてきたために、アメリカ人の「食の意識」の変化にうまく適応できたのではないかと思います(個人的な感想)。

 ドライブイン型のソニックが急速にシェアを伸ばしたのは、ソフト・ドリンクを中心に顧客嗜好の多様化に応じてメニューの改善に成功したせいでしょう。日本のファーストフードには及びませんが、アメリカでも昔のままの単純メニューでは競争についていけない時代になってきました。西部が地盤のカールズ・ジュニアは業績不調のハーディーズを買収して全米展開を果たしましたが、それでも合計ではシェアを半減させてしまいました。