アメリカで地震といえば、西海岸かハワイ、アラスカの話だと思っておられませんか?さほど心配する必要はなさそうですが、中西部・南部のど真ん中に地震の巣があります。 ニューマドリッド地震
昔話ですが、1811年の12月16日に2回、続いて1812年の1月23日と2月7日に、推定マグニチュード7.5から8クラスの地震が、ミズーリ、テネシー、ケンタッキー3州の境界、ミシシッピー川の流域を震源として起きました。 この地震は、震源の中心にあった町の名前を取って「ニューマドリッド地震」と名付けられました。地震の揺れでニューヨークやボストンの教会の鐘がなったとか、リールフット湖など付近の多くの湖沼はこの時の陥没地に水が満たされてできたものとも語り継がれています。何でも、ミシシッピー川が10〜24時間にわたって逆流したのだそうです。
1811年はハレー彗星が現れた年で、一部のインディアンは、不吉な彗星の出現と地震の襲来は伝統文化を捨てて白人に迎合する動きに対する神々の警告と受け止めたようです。 1812年には、アメリカとイギリスがカナダの帰属などを巡って衝突し第二次米英戦争(War of 1812)が起きますが、ショーニー族やクリーク族は、イギリス軍と連合して連邦政府を相手に戦いました。 ミシシッピーの古代入江 そもそも、ミシシッピー川は、7億5千万年前と2億年前に、それぞれ当時の超大陸ロディニアとパンゲアが、2度にわたって分裂しかけた傷跡の上に泥が堆積してできたものです。下ミシシッピー川流域の広大な河岸平野は、メキシコ湾の古代の入江だったのです。 その後、大西洋ができて大陸分裂運動は収まりましたが、今でも下ミシシッピー川流域の地殻は弱いのだそうです。地震帯は、上ミシシッピー川とオハイオ川が合流するイリノイ州のカイロ(ケアロ=アメリカ流発音)という町のあたりからアーカンソー州のマークト・トリー付近まで150マイル(250km)続いています。 私自身、たまたまカイロ付近を車で通りかかったことがあるのですが、あたり一面は正に三角州(デルタ)…古代には入江だったのですから当然で、名前をナイル川河口のエジプトの首都にあやかったのもうなずける湿地帯です。
地震帯は、インディアナポリス方面からエバンズビス付近でオハイオ川に注ぐワバシ川渓谷にもあります。両地震帯を合わせて、人体に感じる地震は1年に1回くらい程度ですが、不感地震も入れると1974年に広域観測体制を整えてからこれまでに4千回以上の地震が起きているのだそうです。 将来の可能性 1812年以降も、推定マグニチュード6以上の地震が1843年と1895年の2回、5以上は9回起きているというのですから、油断はできません。
内務省の米国地質調査所(USGA)の研究によれば、ニューマドリッド地震帯の地震は、同じマグニチュードでも、西海岸を震源とする地震に比べてはるかに広い地域に被害が及ぶと考えられています。
2007年1月の研究報告では、ミシシッピー川を中心にマグニチュード7.5から8クラス=1812年並みの地震が起きる周期は約500年で、今後50年に発生する確率は7〜10%、マグニチュード6以上の地震が起きる確率は25〜40%となっています。特に、ミシシッピー川やオハイオ川、ワバシ川の流域は地下水位も高く、液状化現象で地下の砂が噴出するおそれが高いと考えられています。 1989年2月といえば、ケンタッッキーのトヨタ工場がカムリの量産を始めて間もない頃ですが、ある気象学者が1990年の12月1日から5日の間に50%の確率で大地震が起きると発表したことから周辺の州はパニックが起きたそうです。 私がケンタッキーに赴任したのはそれから4年後の1995年の春でしたが、社宅の地下室には、前任者が買い込んで備蓄用の水と食料が残っていました。 |