いくらアメリカでも銃規制は徐々に強化されているものと漠然と信じていましたが、増える一方の乱射事件に不思議になり調べてみると、2004年以降、アメリカの銃規制は弱まる一方だったことが分かりました。2012年12月のサンディフック小学校乱射事件を機に再び銃規制強化の機運が高まり、焦る銃器愛好者の駆け込み需要で銃器の価格が高騰しています(2013年1月現在)。


独立戦争と修正第2条


 日本では、憲法第9条戦争放棄の解釈について、政治家から子供まで、かれこれ60年も禅問答を繰り返してきましたが、アメリカでは、憲法修正第2条武装の自由の解釈を巡り、建国以来2世紀を超える議論を続けています。いったい修正第2条には何が書かれているのでしょうか?

Minutemen

 そもそもアメリカ憲法の修正第1条信教、言論等の自由から第10条までは「権利の章典(Bill of Rights)」と呼ばれ、憲法制定から4年後の1791年に追加された基本的人権や州の権限を定めている憲法の中核をなす条文です。そのうち修正第2条は「武装の自由」。

 原文

A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the People to keep and bear Arms, shall not be infringed.

 翻訳例

秩序ある民兵は自由な国家の安全保障に欠かせず、人々が武器を保有し携行する権利は、これを侵してはならない。

Overmountain Men

 民兵(Militia)というのは日本では耳慣れない言葉ですが、独立戦争(1775~83年)で大活躍した正規軍に属さない一般市民のゲリラ部隊です。

 イギリスは、火薬を禁輸として、植民地の叛乱を予防しようとしていました。さらに、民兵の武器弾薬を押さえようとししますが、マサチューセッツ民兵が武器庫に先回りして待ち伏せ、独立戦争の火蓋が切って落とされました。

 これが、レキシントン-コンコードの戦いで、マサチューセッツ民兵は直ちに(1分で)戦場に駆けつけることからミニットマンと呼ばれるようになりました。

 続いて、膠着したボストン攻囲戦に決着をつけたのは、バーモント民兵「グリーンマウンテン・ボーイズ」がイギリスの砦から奪った大砲でした。さらに、南部カロライナ戦線では、テネシーの愛国派民兵「オーバーマウンテン部隊」がキングスマウンテンの戦いで王党派民兵を打ち破り、劣勢の植民地軍を危機から救いました。

 つまり、当時の民兵は正規軍に劣らず重要な存在で、修正第2条は、連邦政府と別に各州が独立した民兵組織を持つことを保障する条文だったのでしょう。しかし、文脈が不明瞭で、誰もが無条件に武器を保有し携行してよいものか、それとも武装権は民兵組織にだけ認められているものなのか、結果的にどちらにも解釈できる宿題として後世に残されたのでした。


西部開拓時代


 独立戦争後に各地で最初の銃規制運動が起こりましたが、皮肉なことに、修正第2条を盾に「武装の自由」を主張する人々の対抗心に火をつけてしまいました。1822年のケンタッキーと1842年のアーカンソーの判例が、銃規制反対派の原点です。西部開拓地の最前線では、現実にインディアンの襲撃から自衛する必要があったに違いません。

セントバレンタインデーの虐殺の現場

ケネディ大統領が狙撃された直後

レーガン大統領狙撃直後(大統領は車内)


禁酒法時代


 最初に言葉の説明。1発撃つごとに弾込めをしなければならない銃に対して、弾倉や弾帯がついていて何発も続けて撃てるのが半自動(セミオートマチック)、さらに1発ごとに引き金を引かなくても連射できるのが完全自動(オートマチック)…いわゆるマシンガンです。

 マシンガンは、禁酒法時代の1929年のアル・カポネ一味による「セントバレンタインデーの虐殺」に使われて注目を浴び、1934年の連邦銃器法(National Firearms Act of 1934)で規制されるようになりました。したがって、ハリウッド映画やテレビゲームでは主流の完全自動銃も、実は(密輸物を除き)現実の市民社会からは姿を消し、犯罪にも滅多に使われることがなくなっています。


ケネディ大統領暗殺事件


 1963〜68年にはケネディ兄弟とキング牧師ら黒人指導者が相次いで暗殺されて銃規制の機運が高まり、ジョンソン政権の下で1968年銃規制法(Gun Control Act of 1968)が制定されました。銃器メーカーや銃保有者の資格を定めたもので、これにより危険人物に銃を売ることが禁じられましたが、州レベルの犯罪歴調査には限界がありました。


レーガン大統領狙撃事件とブレイディ法


 1980年12月にニューヨークで元ビートルズのジョン・レノンが凶弾に倒れて間もない1981年3月に、レーガン大統領狙撃事件が起きました。大統領は重傷を負ったものの、手術が成功して3週間で公務に復帰できましたが、頭部に銃弾を受けたブレイディ報道官には左半身麻痺が残り、その後の車椅子生活を余儀なくされることになってしまいました。

 それから12年。ブレイディ報道官と奥様のサラさんが中心になって辛抱強く推進した銃暴力撲滅運動が、1994年、民主党クリントン政権時代になって実を結びます。ブレイディ短銃暴力阻止法(Brady Handgun Violence Prevention Act)と攻撃的銃器禁止法(Federal Assault Weapon Ban)です。

 ブレイディ法は銃器販売店に購入者の犯罪歴チェックを義務付けるもので、この法律に基づき1998年11月にFBIの全米犯罪歴即時確認システムが稼動を開始しました。

 攻撃的銃器禁止法は、一般向け(軍用以外)の半自動銃器の製造を禁止するものですが、銃規制反対勢力に配慮して10年間の期限を設けていました。


銃規制反対派の反撃


公共の場でピストルを(露出せずに)持ち歩く許可

   全面禁止    裁量審査    形式審査    許可不要

 連邦ベースで銃規制が進む一方で、州ベースでは銃規制の緩和が進められていました。公共の場でピストルを(露出せずに)持ち歩く行為についても、1986年には、全面禁止か、申請者を吟味して許可を与える裁量審査をする州が大半でしたが、2011年には大多数の州が形式審査か許可不要に変わってきています。

 2012年3月に、フロリダで、買物帰りの黒人少年を不審人物として射殺してしまった団地警備員が現地警察の簡単な調べの後に無罪放免された事件がありました。この事件でクローズアップされたのが、2005年にフロリダ州が制定した「踏み止まれ(Stand Your Ground)」法で、身を守る目的であれば、誤解から路上で人を殺しても正当防衛を認める法律です。

Self-Defense Laws 

Stand-Your-GroundCastleWeak/None

 もともと英米法には自分の城を守る権利を認める「城の原則(Castle Doctrine)」という考え方があり、アメリカでは、自宅で銃器を使い相手を死亡させても罪に問わない州が多かったのですが、「踏み止まれ(Stand Your Ground)」は、身の安全に脅威を感じた場合に、逃げずに銃器で戦うことを奨励する法律です。

 法の導入時には、夫の家庭内暴力に対抗する妻の手段として、世論の支持を取り付けましたが、結果的に乱用されています。その後も、条件に差はありますが、「踏み止まれ」法を制定する州は増え続け、今では18州に上ります。

 こうした銃規制緩和の背景には、全米ライフル協会(銃器の販売業者や愛好家の団体)の各州議会関係者に対する強い働きかけがあるといわれています。連邦レベルでも、2000年の大統領選挙で本命のゴア副大統領が敗れたのは全米ライフル協会を敵に回したためと噂される中、民主党も一枚岩で銃規制に取り組むことができなくなってきていました。

Trigger lock on a revolver

トリガー・ロック(引き金錠)

 2008年には、ワシントンDCのピストル所持禁止条例につき、連邦最高裁が違憲判断を下しました。「(市民が)家庭内で自己防衛のために(ピストルも含め)銃を所持し使用する権利を奪ってはならない」のだそうです。

 条例は、ショットガンやライフルは、トリガー・ロックをかけるか弾丸を抜いた上で家庭内に所持してよいとも定めていましたが、判決では、銃の自由な使用を妨げる条件を付与するだけでも違憲としています。条例は、家庭内暴力による事故防止のねらいがあっただけに、歯止めがなくなって新たな悲劇が生まれているおそれがあります。

 連邦最高裁の判決は9名の判事(うち一人は長官)の多数決で決まります。判事は上院の助言と同意により大統領が任命することになっていて、当時は、共和党大統領(フォード/レーガン/父ブッシュ/子ブッシュ)が指名した7名と民主党大統領のクリントンが指名した2名…思想的には、保守派4名、リベラル4名、保守色の強い中道1名に分かれるというのが世間の定評で、判決は、保守+中道とリベラルの5対4、ギリギリの評決によるものでした。


銃規制の再強化


 ブレイディ法とともに制定された攻撃的銃器禁止法は、共和党ブッシュ政権下の2004年に期限を迎えて更新されませんでした。

 それを境に、新規の銃器購入が増えている事実は、解禁された半自動銃器(セミオートマチック)を早速買った人々が少なからずいる事実を示しています(左のグラフ)。しかし、その半自動銃器が、その後発生した乱射事件で犠牲者の数を増やしてきたのは明らかです。

 2012年には悲惨な乱射事件や銃撃事件が相次ぎましたが、12月にコネチカット州の小学校で1年生20人と女教師6人が亡くなった乱射事件で、全米ライフル協会に対する国民の怒りは頂点に達しました。幹部が、学校に武装警備員を配備する提案をしたり、乱射事件をハリウッド映画やビデオゲームのせいにして、火に油を注いでしまいました。

 再選されて全米ライフル協会に気兼ねする必要がなくなったオバマ大統領が、今度は本気で銃規制の再強化に乗り出すものと期待されています。

 スポーツ用品店のディックスは、半自動銃器の販売を停止しました。ウォル-マートも、ホームページから半自動銃器の明細を削除しました。これまで、銃規制に消極的だった民主党議員も全員が銃規制を推進する側に回り、共和党議員の中にも動揺が見られるようです。

 しかし、おそろしいことに、銃器販売には大きな乱射事件が起きるたびに増える傾向があります。コネチカット州の小学校の事件後に、全米の銃器店に銃器購入者が殺到しました。FBIの犯罪歴照会件数ベースでも、12月には、前月更新したばかりの月間最高件数記録を4割も上回る278万件の照会があったのです。

 問題は辺鄙な田舎で、周りに警察はもちろん隣家もなければ、身を守る手段は西部開拓時代と同然です。不意の侵入者には、最強の銃器で対抗するしかありません。刀狩りで全米の銃器を一掃するするのは、現実的には困難です。

 シカゴ大学の調査によれば、銃器銃器販売は増えても、銃器を保有する世帯の比率は、1977年の54%から2010年には32%と劇的に減っています。