ゲイトウェー・アーチ★ルイス&クラーク探検隊 ★ゲートウェーアーチの建設
ミシシッピー州・e-ガイドで、経緯については詳しく説明しましたが、独立戦争(1775-83年)が終わって20年後の1803年に、アメリカは、フランスからミシシッピー川西岸の広大な領地(ルイジアナ=ルイ14世の土地)を買収するビッグ・チャンスをつかみました。もちろん、原住民のインディアンの意思におかまいなしに、白人国家間で行われた取引です。 当時、その西のオレゴン・カントリー(現在のオレゴン・ワシントン州とカナダのブリティッシュコロンビア州)の所属は決まっていませんでした。そのままでは、スペインやイギリスのものになってしまいますから、時のジェファーソン大統領が、ルイスとクラークに太平洋への道を探す任務を与えました。
=== ルイス&クラーク探検隊 === 探検隊の出発地はセントルイスでした。セントルイスは、ミシシッピー川とミズーリ川の合流点で、対岸では現在のシカゴ方面からイリノイ川も合流する交通の要衝で古くから開けていました。一行はミズーリ川をさかのぼり、ロッキー山脈を越えてからはコロンビア川を下り、現在のオレゴン州ポートランド付近で太平洋に到達しました。 この探検が、アメリカのミシシッピー川以西の西部開拓時代の始まりでした。さらに歴史は太平洋進出の時代へとつながったのです。南北戦争は1861-65年でしたが、多くの退役兵が西部に流れ、テキサスで育てた牛をカンザスの駅から鉄道でシカゴに積み出す「カウボーイ」という当時の花形の職業に就きました。 ちなみに日本に最初の黒船来航があったのは1853年。明治維新(元年)は1868年で、日清戦争が1894-95年、日露戦争が1904-05年、パナマ運河の開通は1914年でした。 ========= ゲイトウェーアーチの建設 ========= ゲートウェイアーチは、かつて大西部への「玄関口」だった都市セントルイスを象徴する巨大なアーチ型の門です。ジェファーソン大統領とルイス&クラーク探検隊の業績を讃えるために、ダウンタウンのミシシッピー川河岸に建てられました。計画は、早くも1930年代に始まっていたのですが、第二次世界大戦で大幅に遅れてしまいました。
1947年には公募でフィンランドの建築家サーリネン設計のデザインが採用されましたが、プロジェクトは朝鮮戦争で再び中断して、工事が始まったのはケネディ大統領時代の1961年。サーリネンはその年に亡くなり、ケネディも翌々年に暗殺されて二人ともアーチを目にすることはできませんでした。 アーチは、真ん中に挟んだ仮設の梁(はり)を少しずつ持ち上げながら左右同時に建て進められ、最後の部品によりアーチが連結される様子は、1965年10月28日全米にテレビ中継されました。世界の建築史にも例も見ない特異な構造の建造物で、アーチ建設の記録映画も観光のポイントの一つです。 アーチの中は中空構造で、カプセル型の乗り物で展望デッキに上れる仕掛けになっています。地下には、ルイス&クラーク探検隊に関連する博物館があります。 === セントルイス万博 === 1904年に開かれたセントルイス万博も、ジェファーソン大統領のルイジアナ購入100周年を記念したもので、オリンピックも共催されました。会場は当時のセントルイス市街最西端…現在はフォレストパークとワシントン大学(セントルイス)のキャンパスとして残っています。 === セントルイス・ブルース === しかし、セントルイスを語るには、黒人文化のブルースやジャズを忘れてはいけません。セントルイスは、プロもビギナーもあらゆるジャンルの音楽を演奏できるコンサートホールやライブハウスが街中に立ち並ぶ音楽都市です。セントルイス・e-ガイドの地図上でミュージックスポットの マークをクリック、YouTubeの動画でそれぞれ微妙に違う雰囲気を味わってください。 === トム・ソーヤの町 === そういえば、ミシシッピー川を約100マイル(160q)さかのぼったハンニバルは、マーク・トウェインの「トム・ソーヤの冒険」の舞台…付近には、トムとハックルベリーが金貨を見つけたインジャン・ジョーの洞窟など物語のモデルになった1830年代の風景が今も残っています。 |