ミシシッピー州
State
of Mississippi (Magnolia State)
早分かり・e-マップ集/ミシシッピーの地形/ミシシッピーの歴史とナッチェス・トレース
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ミシシッピーの地理
★ヒルズ地方 ★ミシシッピーデルタ地方 ★キャピタルリバー地方 ★コースタル地方 ★パインズ地方
ミシシッピー沖積平野 |
ミシシッピー州は、ほぼ州全体が沿岸平野。恐竜絶滅後の新生代(6500万年前〜)にできた陸地です。最も標高が高いテネシーとアラバマの州境に近い地点でさえ、海抜わずか246m。それでも、北部一帯は「ヒルズ地方」と呼ばれています。
網目のように走るヤズー川 |
中でも、州北西部のヤズー川流域は特別で、氷河で海面が後退した更新世(258万年前〜)にようやく干上がってできた低湿地…「ミシシッピーデルタ」と呼ばれる綿花栽培が盛んな地方で、貧困の中から「ブルース」が誕生した地域としても有名です。
ミシシッピー川のアーカンソー側を合わせると、本州の半分くらいにはなりそうな大低地帯です。1億年近く昔に現ミシシッピー川を境に北米大陸が分裂しかける大事件があり、「ミシシッピー・エンベイメント」という巨大な湾ができたのだそうです。
■Longleaf
Pine ■Shortleaf
Pine |
ミシシッピー川河口にできたルイジアナ州の三角州は、「ミシシッピー川デルタ」と呼ばれて区別されています。川(River)が1ワード加わるだけで、全く違う場所を指すので気をつけましょう。ヤズー川のミシシッピー川合流点ビックスバーグはかつての南軍の要塞都市で、南北戦争の終盤で北軍が攻略して勝利を決定づけました。
州南部のパインベルト(パイニーウッズ)には、和名を大王松という松葉が30〜40cmもあるマツが生育し製材業が盛んです。西半分は州都ジャクソンの南なので「キャピタル・リバー地方」、東半分はメキシコ湾に面するガルフポートやビロクシを含む「コースタル地方」と呼ばれています。
少しややこしいのですが、地域区分で「パインズ地方」と呼ばれる北寄りのコロンバスやメリディアンの地方は、正確には州の愛称(Magnolia
State)の花モクレンも咲くオークやヒッコリーの混交林帯で、こちらに多い松は日本のアカマツの親戚です。
ミシシッピーの歴史とナッチェストレース
★ナッチェストレース古道 ★ナッチェストレース・パークウェー(テネシー〜アラバマ〜ミシシッピー)
一般論ですが、西部開拓初期の重要な道路は、インディアンの道(インディアントレイル)を利用して作られました。さらに時代をさかのぼれば、もとはバッファローなどの動物が踏み固めて自然にできた「けもの道」です。
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ナッチェストレース古道 ===
下のパークウェー地図の凡例 |
アメリカは1783年のパリ条約で独立を果たし、ミシシッピー川以東のイギリス領を獲得しました。
インディアンによる襲撃の脅威が減ったケンタッキーやテネシー北部には新たな開拓者が押し寄せます。自給自足段階はすぐに卒業し、余剰農畜物を東部に運んで換金するニーズが生じました。
ナッシュビル-州境(⇒拡大)
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アラバマ州-トゥペロ(⇒拡大)
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トゥペロ-ジャクソン(⇒拡大)
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ジャクソン-ナッチェス(⇒拡大)
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しかし、東には険しいアパラチア山脈が立ちはだっています。最善の交易手段は、フラットボートというイカダ同然の船でオハイオ川を流れ下り、ミシシッピ川下流のナッチェスで外洋船に荷を積み替えるルートでした。ただし、これは片道切符で、復路はナッシュビルまで陸路を歩くか馬に乗って帰らなければなりません。その道がナッチェストレース古道でした。
ナッチェスは、メキシコ湾岸のビロクシや現ルイジアナ州のニューオリンズとともにフランス人によって17世紀末から18世紀初頭に建設された古い都市です。しかし、ナッチェストレースは、チカソー族とチョクトー族の支配地域を通るインディアントレイルでしたから、合衆国政府は1801年、第3代ジェファーソン大統領の時代に両部族の了承を得た上で、幌馬車が通れる規格の道路の建設を始めました。
ナッチェストレースは1809年に完成しましたが、その後の賞味期間は長くありませんでした。陸路では1820年にできたジャクソン将軍のミリタリーロードに主役を奪われ、ミシシッピー川の水運もフラットボートの時代から蒸気船の時代へと変わり、次第に荒れ果てて行きます。
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パークウェーとトレイル ===
パークウェーの全長は444マイル(715km)。ナッチェストレースの古道沿いに走るオールアメリカンロード(格上の国立景勝バイウェー)で、アパラチア山脈を縦貫する469マイルのブルーリッジ・パークウェーと並んで内務省の国立公園局が管理する観光道路の中でも東西の横綱級です。
ナッシュビルの南、トゥペロの周辺、ジャクソンの北と、ナッチェスまでの2ヶ所に、古道を歩いて旅する計5つの国立景勝トレイル(ハイキングコース)があります。
テネシー州の区間はアパラチア山脈の山麓ですから、パークウェーも山間を縫うように走ります。やすらぎのクリーク(小川)が多く、鉱山や製鉄所の跡やタバコ農園、初めて太平洋への陸路を探検して帰還したルイス・クラーク探検隊の隊長メリウェザー・ルイスが謎の死を遂げた地などがあります。
英仏の勢力圏を表す地図(1711年) |
アラバマでテネシー川を越えると、景色は一変して湿地が増えてきます。その昔繁栄したインディアンの遺跡も多数あります。トゥペロのチカソー村落跡は、1736年にイギリスと仲がよかったチカソー族をフランスとチョクトー族の連合軍が襲い、返り討ちをを喫した場所です。トゥペロ周辺は南北戦争の激戦地としても知られており、パークウェー沿いにも南軍兵士の墓地があります。
Bald
Cypress |
ジャクソンの北方の湿地「サイプレス・スワンプ」は、パークウェーの景勝地の中でも特に有名です。ここでいうサイプレスは、糸杉ではなくて沼杉の仲間、落羽松(ラクウショウ)という難しい名前もあるそうです。
パークウェーがナッチェスに近づくにつれ史跡の数は増えてきます。ロッキースプリングスは、1930年に最後の店が閉じて見捨てられたゴーストタウン。
マウント・ローカストには、その昔、往路ははケンタッキーやオハイオからフラットボートで物資を運び、復路は古道を歩いて帰った運送業者を泊めた宿があります。用済みのフラットボートはナッチェスで解体し、材木として売ったそうです。
かつては、ポートギブソンに近くミシシッピー川を見下ろす景勝地に4階建ての大邸宅がありましたが、1890年の火事で、ギリシャ神殿のような円柱を残して焼けてしまいました。ウィンザーの廃墟と呼ばれています。